阿佐ヶ谷ラピュタで上映中の「大笑い大福帳」観てきました。この映画「落語長屋は花盛り」の改題短縮版。正味38分の小品です。私、元の作品を観ていないので、よくわかりませんが、どうやら、いくつかの落語をオムニパス形式にしてつなげて1本の映画にしたもののようです。で、合間に、いわば案内役として、金語楼師が登場し、マクラをしゃべるという寸法のようです。師の落語 私のようなアラカンの人間でも、師といえば、「ジェスチャー」のキャプテンという印象しかありませんから、これは、なかなか貴重な映像です。昭和29年の作品ですが、まだ、落語が「娯楽の王様」だった時代、こうした「落語長屋」ものが多く作られていたのでしょう。
今、観られる作品は、「心眼」と「たらちね」「心眼」は、目の見えない按摩杢市を森繁久弥が演じています。で、しっかり者だが、決して美人とは言えないカミサンが笠置シヅ子。驚いたのは、森繁さんが美男の按摩さんともてはやされているところ。「社長シリーズ」などで、浮気に失敗する役どころを、散々見慣れている私としては、逆に新鮮。揉み療治に行った先の芸者さんから「目さえ見えたら、一緒に苦労がしてみたい」とまで言われます。願掛けして、見事に叶い、芸者に言い寄られていると、そこにカミサンが現れ、慌てふためく杢市。で、夢だったとわかるところがオチ。
「たらちね」は、長屋の住人八五郎(榎本健一)に大家宗右衛門(古川緑波)が嫁を世話します。その嫁千代女(久慈あさみ)が、言葉が丁寧すぎて・・と、これは落語そのまま。嫁が来るというので、盛り上がる八五郎 新婚生活を妄想します。おなじみ「チンチロリンのポーリポリ」のシーン。この場面が、エノケンの歌になっていて、これは「チンチロリンサンバ」というそうですが、愛嬌のあるエノケンの顔が、妙にかわいらしいシーンです。ある夜、火事騒動。八五郎 江戸っ子ですから、見物に行きたくて仕方ないのですが、女房に「一人にしないで」と、すがって泣かれる。これ、次の「火事息子」への伏線ということ。
ま、言ってしまえば、他愛のない映画ですが、落語が庶民の生活に密着していたことがわかり、落語ファンとしては、楽しめた佳作でした。
今、観られる作品は、「心眼」と「たらちね」「心眼」は、目の見えない按摩杢市を森繁久弥が演じています。で、しっかり者だが、決して美人とは言えないカミサンが笠置シヅ子。驚いたのは、森繁さんが美男の按摩さんともてはやされているところ。「社長シリーズ」などで、浮気に失敗する役どころを、散々見慣れている私としては、逆に新鮮。揉み療治に行った先の芸者さんから「目さえ見えたら、一緒に苦労がしてみたい」とまで言われます。願掛けして、見事に叶い、芸者に言い寄られていると、そこにカミサンが現れ、慌てふためく杢市。で、夢だったとわかるところがオチ。
「たらちね」は、長屋の住人八五郎(榎本健一)に大家宗右衛門(古川緑波)が嫁を世話します。その嫁千代女(久慈あさみ)が、言葉が丁寧すぎて・・と、これは落語そのまま。嫁が来るというので、盛り上がる八五郎 新婚生活を妄想します。おなじみ「チンチロリンのポーリポリ」のシーン。この場面が、エノケンの歌になっていて、これは「チンチロリンサンバ」というそうですが、愛嬌のあるエノケンの顔が、妙にかわいらしいシーンです。ある夜、火事騒動。八五郎 江戸っ子ですから、見物に行きたくて仕方ないのですが、女房に「一人にしないで」と、すがって泣かれる。これ、次の「火事息子」への伏線ということ。
ま、言ってしまえば、他愛のない映画ですが、落語が庶民の生活に密着していたことがわかり、落語ファンとしては、楽しめた佳作でした。