最近、ヒゲのiPad上に良く登場する様になったCM。
ロート製薬の、成長応援飲料 『 セノビック 』
このネーミング、背(身長)が伸びるのシャレなんでしょうね?
インカ帝国の昔から現在に到る迄、身長が高い事は人類の願望でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/5b/11c50e4349b55205707a42d0c77bd5af.jpg)
昭和30年代の事です。
熊本では、『 味の素 』 は非常に貴重な物で、貧乏人には垂涎の的でした。
ある夏の日、我が家に小さな箱が届けられました。
開けて見ると、紅い缶が出て来ました。
「 うわーっ、 味の素の赤缶たい! 」
ハハァー
みんな、まるで金の延べ棒でも見る様な眼差しです。
無理もありません。
当時の熊本で、“ 赤缶 ” と云ったら、金持ちさんのステータス的品目でしたから。
ヒゲの母親は、床の間に一ヶ月程飾っておりました。
気持ちは、充分理解出来ます。
引き揚げ船で、やっと熊本に戻り、屋台の貧乏生活からスタートした母親。
税務署から虐められながらも、少し稼ぎました。
そして、とうとう御中元に、人様から赤缶を頂けるまでになったと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/53/64ccf6cb6df889b552653212c3045001.jpg)
やがて、母親は何処からか、噂話を仕入れてきました。
次の日の朝食、ヒゲの漬物には、サジですくった味の素とソレを溶かす為の醤油がたっぷり!
味の素の結晶がざらつく白菜を黙って食べる小学生ヒゲに、母親は嬉しそうにトリビアを披露しました。
「 コウイチ、味の素を毎日たぶっと、頭(!)の良くなるてたい。
そっで、背も高~うなるて言いよらしたばい。 」
これには閉口しましたが、父親の思い込み分はありがたいモノでした。
「 おう、コウイチ。 ニッポンが戦争に負けたつは、ビフテキば喰わんだったけんばい。
肉ば喰うとったら、背が延びて、日本人は負けんだったかもしれん。 」
こうして、ヒゲ少年は、ビフテキと云う名の、牛脂のタップリ付いたサーロイン・ステーキを
度々ご馳走になる機会を得たのでした。
まだ硬めの肉が多かったから、かえってナイフ・フォークの使い方が上手になったと云う
副産物まで付いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1f/8c323d85b86632c6d7cf25be5e5989b9.jpg)
両親の、こうしたトリビアのお陰でしょうか?
ヒゲは、中学生の時には、目立つ様にひょろ長い身長に成ったのでした。
昭和の 『 せのびっく 』 も、あながち捨てたものではないのでした。 (笑)
http://blog.with2.net/link.php?1046790
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ロート製薬の、成長応援飲料 『 セノビック 』
このネーミング、背(身長)が伸びるのシャレなんでしょうね?
インカ帝国の昔から現在に到る迄、身長が高い事は人類の願望でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/5b/11c50e4349b55205707a42d0c77bd5af.jpg)
昭和30年代の事です。
熊本では、『 味の素 』 は非常に貴重な物で、貧乏人には垂涎の的でした。
ある夏の日、我が家に小さな箱が届けられました。
開けて見ると、紅い缶が出て来ました。
「 うわーっ、 味の素の赤缶たい! 」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_deject.gif)
みんな、まるで金の延べ棒でも見る様な眼差しです。
無理もありません。
当時の熊本で、“ 赤缶 ” と云ったら、金持ちさんのステータス的品目でしたから。
ヒゲの母親は、床の間に一ヶ月程飾っておりました。
気持ちは、充分理解出来ます。
引き揚げ船で、やっと熊本に戻り、屋台の貧乏生活からスタートした母親。
税務署から虐められながらも、少し稼ぎました。
そして、とうとう御中元に、人様から赤缶を頂けるまでになったと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/53/64ccf6cb6df889b552653212c3045001.jpg)
やがて、母親は何処からか、噂話を仕入れてきました。
次の日の朝食、ヒゲの漬物には、サジですくった味の素とソレを溶かす為の醤油がたっぷり!
味の素の結晶がざらつく白菜を黙って食べる小学生ヒゲに、母親は嬉しそうにトリビアを披露しました。
「 コウイチ、味の素を毎日たぶっと、頭(!)の良くなるてたい。
そっで、背も高~うなるて言いよらしたばい。 」
これには閉口しましたが、父親の思い込み分はありがたいモノでした。
「 おう、コウイチ。 ニッポンが戦争に負けたつは、ビフテキば喰わんだったけんばい。
肉ば喰うとったら、背が延びて、日本人は負けんだったかもしれん。 」
こうして、ヒゲ少年は、ビフテキと云う名の、牛脂のタップリ付いたサーロイン・ステーキを
度々ご馳走になる機会を得たのでした。
まだ硬めの肉が多かったから、かえってナイフ・フォークの使い方が上手になったと云う
副産物まで付いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1f/8c323d85b86632c6d7cf25be5e5989b9.jpg)
両親の、こうしたトリビアのお陰でしょうか?
ヒゲは、中学生の時には、目立つ様にひょろ長い身長に成ったのでした。
昭和の 『 せのびっく 』 も、あながち捨てたものではないのでした。 (笑)
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