さて、薩摩軍は鹿児島を出て、熊本なんぞ通過県とばかりに進軍しました。
ドッコイ、そこに立ちはだかったのが、熊本城と鎮西軍。
「 こんな江戸時代の古い城なんか、なんてことないさ。 今は明治だぞ! 籠城など無意味だ。 」
しかし籠城軍の兵糧は尽きず、田原坂で敗れた西郷どんは敗走。
「 おいどんは、官軍に負けたっじゃあなか。 清正公どんに負けたつたい。 」
噂では、官軍の兵士達は、お城の壁を喰っていたとか。 (笑)
「 あいつらは、白蟻だ 」 なるほど、カゴマ軍からすると、恐怖の光景でしょう。
何と清正公は、築城の折、お城の壁や畳に食糧を仕込んでいたのです。
そんな、まことしやかな伝説が肥後の国では残っています。
その食糧とは、 “ ズイキ ” と呼ばれ、里芋の茎を干したモノです。
ところで、この時、官軍の兵糧として、兵士達の命を守ったズイキ。
今では、快楽のネタに。 何て事でしょう!?
高級野菜料理としてより、 “ 肥後ズイキ ” のネーミングで下半身を悦ばせるのに
使われているようです。
さすが、日本の 『 成人力 』 、 世界一だけありますネ。 (笑)
この肥後ズイキなるもの、熊本市内で販売している店を見つけるのは、結構大変かもしれませんね?
それも、まあ、旅の楽しみのひとつでしょうか。
さて、そんな熊本城。
西南の役の後、宇土櫓と云う部分が焼け残りました。
昭和の小学生ヒゲ達の、遊び場にもなった所です。
ココで遊ぶのには、ちょっと注意が要ります。
階段が、とんでも急勾配なんです。
子どもの身には、垂直の梯子を登るようです。
まさに、 「 本日、登城する様に 」 の登城と云う言葉が理解出来る、しんどさでした。
更に、この階段を降りる時は命掛け?
靴下を履いていると、おもしろい様に滑るから、ふざける子供達はスッテンころりん。
やっと宇土櫓の、天守に到着しました。
視界が開けてるとは、言い難いロケーション。
まあ、此処は、お城の見張り番でもなった積もりで、遠くをのぞむのが良いでしょう。
鉄骨で再興された大天守閣とは違う、いにしえの強者共の臭いを感じてみましょう。
≪ 現在の田原坂 ≫
http://blog.with2.net/link.php?1046790
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「 こんな江戸時代の古い城なんか、なんてことないさ。 今は明治だぞ! 籠城など無意味だ。 」
しかし籠城軍の兵糧は尽きず、田原坂で敗れた西郷どんは敗走。
「 おいどんは、官軍に負けたっじゃあなか。 清正公どんに負けたつたい。 」
噂では、官軍の兵士達は、お城の壁を喰っていたとか。 (笑)
「 あいつらは、白蟻だ 」 なるほど、カゴマ軍からすると、恐怖の光景でしょう。
何と清正公は、築城の折、お城の壁や畳に食糧を仕込んでいたのです。
そんな、まことしやかな伝説が肥後の国では残っています。
その食糧とは、 “ ズイキ ” と呼ばれ、里芋の茎を干したモノです。
ところで、この時、官軍の兵糧として、兵士達の命を守ったズイキ。
今では、快楽のネタに。 何て事でしょう!?
高級野菜料理としてより、 “ 肥後ズイキ ” のネーミングで下半身を悦ばせるのに
使われているようです。
さすが、日本の 『 成人力 』 、 世界一だけありますネ。 (笑)
この肥後ズイキなるもの、熊本市内で販売している店を見つけるのは、結構大変かもしれませんね?
それも、まあ、旅の楽しみのひとつでしょうか。
さて、そんな熊本城。
西南の役の後、宇土櫓と云う部分が焼け残りました。
昭和の小学生ヒゲ達の、遊び場にもなった所です。
ココで遊ぶのには、ちょっと注意が要ります。
階段が、とんでも急勾配なんです。
子どもの身には、垂直の梯子を登るようです。
まさに、 「 本日、登城する様に 」 の登城と云う言葉が理解出来る、しんどさでした。
更に、この階段を降りる時は命掛け?
靴下を履いていると、おもしろい様に滑るから、ふざける子供達はスッテンころりん。
やっと宇土櫓の、天守に到着しました。
視界が開けてるとは、言い難いロケーション。
まあ、此処は、お城の見張り番でもなった積もりで、遠くをのぞむのが良いでしょう。
鉄骨で再興された大天守閣とは違う、いにしえの強者共の臭いを感じてみましょう。
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