昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

わたしの見た、おフランス・パリcity (旅行記) (三十九)

2013-07-22 19:58:32 | よもやま話
ではでは、いよいよマリー・アントワネット王妃の寝室へと参りましょうか。
王妃といえば、どうしてもアントワネット! となってしまうんですね、他にも多々おられるでしょうに。

ある意味、悲劇の王妃ですからな。時期が、悪うござんしたわ。
フランス革命前夜の、王妃になってしまったのですから。


マリー・アントワネット王妃のベッド上部


マリー・アントワネット王妃のベッド

どうです? かぐわしき香りが漂っているように感じませんか?
花の模様が、実に美しい。写真が斜めになってしまったのは、ごめんですが。

けばけばしく飾られるでもなく、といって質素でもなく、上品なピンク色ですよね。
ここで、四人のお子たちを産まれたのでしょうか。

ルイ16世も罪な男ですよ。政略結婚なんですけどね、完全な。
プロイセン王国からの脅威に晒されている、母国オーストリアを救うがための。

誰も味方の居ない異国の地に赴くわけですよ。
14歳で嫁ぐことになったアントーニア、名前すら変えられてしまって。

フランス王太妃マリー・アントワネットと称されることに。
それでは少しばかり、アントワネット王妃の生涯をば。

そんな淋しい思いの中、フランス宮廷内の女の闘いに巻き込まれてしまうのでありました。
ルイ15世の寵姫デュ・バリー夫人vs娘アデライードです。

アントワネットは、アデライード派の大将に祭り上げられてしまうのでした。
娼婦や愛妾が嫌いな母・マリア・テレジアの影響を受けたアントワネットは、デュ・バリー婦人を完全無視の作戦に出ました。

ところが、デュ・バリー夫人に泣きつかれたルイ15世の怒りを買ってしまった、可哀相なアントワネット。
母であるマリア・テレジアからの忠告を受けて、矛を収めることにしたのであります。

そんな日々にもかかわらず、夫であるルイ16世はアントワネットへの気遣いをみせなかったのであります。(耳が痛いところですな、この辺りは。でしょ? ご同輩)


ルイ16世

うまく行かない夫婦生活の寂しさや、慣れないフランス王室での鬱憤を晴らすため贅沢三昧の生活を送ってしまうのでありました。
夜ごと仮面舞踏会で踊り明かしたという話は、母国オーストリアの母を嘆かせたことでしょう。

しかしそれも、お子たちの誕生後にはピタリとやめているのです。
良妻であったかは別として、賢母であったことは事実なのですぞ。

ただ、貴族たちとの仲が宜しくなかったようで、それが悲劇を呼ぶことになったらしいです。
邪推すれば、アントワネット王妃に横恋慕し損ねた大貴族あたりが、色々と画策してですな、……いや止めときましょう。
わたしの勝手な思い込みですから。史実に基づいてのことでもありませんし……

しかし、例の「パンが食べられなければ、お菓子を食べれば良い」という言葉は、他の貴族の奥方の言葉だったと言うじゃないですか! 

許せませんな、そのような濡れ衣は。
他にも、贅沢三昧の生活を送ったとか、国家の財政を傾かせたとか、色々と流言飛語の類いが多すぎますよ。

アントワネット王妃の住まいは、ポンパドール夫人のために建てられた宮殿であり、新たに建築したということもないわけでして。
子どもたちに対しても、ぜいたくを許さなかったと言うじゃないですか。


マリー・アントワネット王妃とそのお子たち

四人のお子たちに恵まれた王妃ですが、第二子のジョゼブは早世してしまい、第三子のシャルルは例の監獄内で病死、そして第四子のソフィーははかなくも一歳に満たずして死亡してしまった。

左端がテレーズ王女で、ただ一人革命期を生き延びたのです。
そして腕に抱かれているのが、ジョゼブなのでございます。

右端がシャルル王子で、指さす先の空っぽのゆりかごが、涙を誘うのでありました。
なにを隠そう、ソフィーが居るよとでも言いたげでは、あーりませんか。



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