さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

2015年ネパール地震 日本人として考えたこと

2019-07-02 | 社会・経済




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2015年4月25日

ネパールの首都、カトマンドゥから北西77キロ付近を震源とした大地震が発生しました

マグニテュード 8前後、震度およそ7

ネパール国内の死者数 約8,500人、負傷者数 約15,000人 倒壊建物 約50万件

という大災害となりました

この大災害発生時、私がカトマンドゥにいた、ということは以前の記事でご報告いたしました

『ネパール大地震 その時現地におりました』

今回、あらためてこの時、日本人として感じたことを、二つの出来事を通してお話しさせて頂きたいと思います


地震発生時、私は、私の仕事関係者の日本人2人と、ネパールでのアテンドをしてくれていた日本在住10年のネパール人Sさん(今や私の親友であります)と、3階建てのコンクリート造りの建物の中におりました

建物全体には30人前後の人がいたかと思います

いきなり建物内の電気が消え、突然の激しい揺れ、地震に慣れている日本人である私でも

『これはヤバいな…』

とそう思いました

地震に慣れていないネパールの女性たちは悲鳴を上げ、パニックになっています

私の脳裏に、途上国で大地震が発生したとき、ニュースなどで報道される、倒壊した建物の瓦礫の映像が浮かびます



間違いなくそれまで生きてきて、経験したことのない規模の地震に今、ネパールという国で遭遇していること

『死ぬかもしれない』

本当にそう思いました

おそらく、生まれて初めて

『死を覚悟』

したと思います

部屋にいた同行の日本人二人とSさんとで顔を見合わせます

建物の中は危険、咄嗟にそう思いました

しかし外も建物の倒壊やガラスの飛散などの危険があります

幸いに、私たちのいた建物の前には道を挟んでゆるやかな土手になっており、そこには太い木も生え地盤が固そうです

私と同行者とで、Sさんにできるだけ建物から離れ、向かいの土手へみなを非難させるよう頼みます

私と同行者は、腰を抜かしてパニックになっている女性たち、もはや立たせて外へ避難させるのは難しいと判断し、できるだけ頑丈そうな机の下へ押し込みます

他の部屋も確認し、動ける人は土手へ避難させ、立つこともできないような人は肩を抱え机に押し込みました

ふと気づけば、3階の一室、残っていたのは私と同行者の日本人の3人だけ

外へ出るのはもう間に合わないかもしれない、机と言う机はすべて満席

私たち3人は顔を見合わせ、頭に手を置きあとは運を天に任せたのでした




私は若いころ、少々俗っぽい人間ではありましたが、割と熱心なクリスチャンでした

こんなことをよく考えました

『もし、自分が乗っていた船が沈没するというような状況で、救命ボートに乗れるのはあと一人、残っているのは自分ともう一人の赤の他人…』

『自分はイエスキリストの愛を信仰する者として、残された最後の一席を、喜んで誰かのために譲ることができるだろうか』

『そういう人間でありたい、と願ってはいるが、いざ本当にそのような場面に遭遇したら、自分は我先に人を蹴落としボートに乗り込もうとはしないだろうか』


ネパールでの出来事を思い返します

私はこの時、何かそうしなければならないと思って行動したわけではありませんでした

本能がそうさせたのだ、と思います

こんな私でも、おそらくは日本人が日本人なりに古くから育んできたであろう精神、他人をかきわけ自分だけが生き延びようとすることを美徳としない、武士道的精神をわずかながらも本能のどこかにもちあわせているのだろう、最後に逃げ遅れた日本人3人で顔を見合わせたことを思い出し、少しうれしく思いました

また、東日本大震災の被災者のみなさまの秩序ある行動などを思うとき、それはやはり長い歴史が育んできた日本人なりの感性なのだろうと思うのです

もちろんネパールの人たちはネパールの人たちなりに、Sさんは最後まで誘導してくれましたし、地震後のカトマンドゥの街中でも、暴動や略奪が起きたわけでもなく、日本人とは違う、神々への信仰心、祈りながら静かにこの災害と向き合っていらっしゃいました

世界の国々、民族、それぞれにそれぞれの歴史が育んだ感性や価値観があるでしょう

日本人には日本人の、やはりそれは『和を以て貴しと為す』を礎とし、長い時間をかけて育まれた『武士道』の精神が、その感性と価値観の原点である、そう思ったのでした


さて、もう一つ、以前の記事でもご紹介したできごとです

地震発生から2日後、私たちの帰国予定日でありましたが、航空ダイヤは混乱しており、自分たちの乗る飛行機が飛ぶどころか、やってくるかどうかも分からない状態でしたので、朝早くから空港へ行き、待機することとなりました

非常時のため、一本しかない滑走路は救援物資や救助部隊を運ぶ輸送機や軍用機の着陸が優先されるため、一般の民間航空機は後回しになり、母国へ帰らんとする人達や、次の滞在地に向かわんとする大勢の人達で、狭い出発ロビーはごった返していたのでありましたが、強い余震が続く中、いつ帰れるかもわからぬ状況でしたので、時折降り立つ民間機のロゴが、自分の乗るべき航空会社のものであったりすると、その度にそれを待っていた人達から歓声が上がったりするのでありました

混み合う出発ロビー

そんな時、ひときわ大きな歓声が私の近くにいた中国人の一団からあがりました
彼らの視線の先には、機体に「中国空軍」と書かれた巨大な軍用機が滑走路に降り立っていたのでありました

中国空軍機

この大災害のために自国の軍隊がやってきたのですから、歓声を上げるのも無理はありません


その日は結局帰国の途にはつけず、あらためてチェックインカウンターまで戻ったときには随分と夜も更けておりました

翌日も朝早く空港に来ている必要があり、一旦市街まで戻っても、ホテルなどがとれるかもわからず、また早朝に空港までの、タクシーなどの移動手段の確保も難しいことも予想され、客人も一緒だったこともあり、このまま空港で一夜を明かすか、近くで野宿するかと思案しておりました

そんなところへSさんから連絡が入ります
Sさんは、私より2日遅れて日本に戻る予定で、カトマンドゥ市内の実家に残っていたのでありました
 
30分ほどでSさんと仲間が迎えに来てくれて、この時すでにホテルまで確保してくれておりました
その上朝から何も食べていないだろうと案じ、Sさんのご家族の手料理までホテルに運んでくれたのでありました


Sさんのご家族の手料理

ご自身も大変な状況の中、言葉につくせないほどの心温まるご好意に本当に感謝でありました
さらに翌日も早朝わざわざ、Sさんの友人が車で迎えに来てくれまして、とにかく感謝でありました

Sさん始め、ネパールの皆様の厚い心づくしのおかけで、早朝から空港に行けた事もあり、無事に振り替え便のチェックインができました

それでもまだ、実際に私たちが乗るべき便がやってくるかはわかりません
そんな状況下で、前日に引き続き、混み合う狭い出発ロビーで待機しておりますと、再び「中国空軍」機が飛来し、中国人たちの歓声があがりました

この日はさらに、「US・Air・Force」の巨大機もいよいよ降り立ってきました

アメリカ空軍機

アメリカ人自体が少ないのか、こういう時に歓声をあげたりしないのがアメリカ人気質なのかはわかりませんがこの「US・Air・Force」の飛来に歓声が上がる事はありませんでした

それから数時間後、一機の民間機のタラップから、ある一団がこのネパールの地に降り立って来ました

「JAPAN」

と書かれた帽子を被り、オレンジ色のユニフォームを着た日本の救助部隊の皆様です

日本の救助隊の皆様

その皆様の列が、ガラス越しに私の目の前を通り過ぎて行きます

その中の一人の男性の方と目が合いました
私は、街の惨状を見ながらこの地で何もできない自分を思いつつ、感謝と敬意の気持ちでその方に小さく一礼しました

するとその方は、私に向かって、力強く頷いて下さいました
思わず目頭があつくなりました


その一行が私の前を通り過ぎると、その通り過ぎた先で、大きな拍手と歓声が起こりました
少し驚いてそちらを見ると、拍手と歓声を贈っていたのは、他ならぬこのネパールの方々や近隣のアジアの国の方々だったのです
私のすぐ近くにいた人が、一行を指差しながらうれしそうに私に尋ねます

「JAPAN!?、JAPAN!?」

「Yes…」

これは一体どうしたことなのでしょう

「中国空軍」

にも

「US・Air・Force」

にも歓声を上げることのなかった地元や、近隣の国々の方たちが

「JAPAN」

の救助部隊の到着を、拍手と歓声で迎えてくれているのであります

被災した方々をついさっきまで目の前で見てきたこともあり、涙を流してしまいました


さて、その後、私たちは無事に帰国いたしましたが、その道中、先の出来事を思います

「ひょっとすればたまたまそこに日本贔屓のネパール人がいただけかもしれない」

ネパールにおける対日感情は良好であるとは聞いていました
逆に対中感情は悪いとも聞いておりました

しかしそれらは私が肌で感じたものではありません

以前、インドを放浪した時は、それなりの長い時間インドの方々と触れ合い、日本や日本人に対する感情は良い、と肌で感じることができました

インドの全く違う場所で、全く違う方から、全く同じ事を言われた事があります

「お前たち日本人は、過去、アメリカやイギリスの植民地支配と勇敢に戦った、そしてこのインドも、お前たち日本人と共にイギリスと戦った、その後お前たちの国は、アメリカによってヒロシマ、ナガサキにAtomicBomまで落とされた、にも関わらず、なぜ今お前たちはアメリカの手先のようになっているんだ!」

今回のネパール訪問は、ほんの数日の短い間でしたので、実際の対日感情がどのようなものか、インドの時のように肌で感じるまでには至っておりません

ですが

「JAPAN」

の救助部隊に、中国軍にもアメリカ軍にも声を上げなかった方々が拍手と歓声を贈った事、これは私の目の前で起きた事実であります
私たちが思っている以上に、アジアの国々の方々は、日本を、日本人を信頼してくれているのです
そして期待してくれているのです
そう感じる他ないのであります

そしてその信頼と期待は、決して一朝一夕で築き上げられたものではないでしょう

古き先人たちの振る舞いから積み重ねられて来たものでしょう

私たちの世代でその信頼と期待を裏切るような事があってはなりません


この出来事から感じていること

歴史的な事実に対する満足な確認も行わず

『日本はアジア諸国にひどいことをした、だから謝罪し続けるべきだ』

という日本人がいまだ数多くいますが、そのような態度がかえってこのような信頼関係にいがみ合いの火種を投げ入れているだけだということに、いい加減気づかなくてはならないと思います

たとえそのような人たちの言うことが歴史的な事実であったとしても、もはや反論したくともかなわぬ人たちになりかわって謝罪するなど、傲慢な姿勢であると思います


私は自らが体験した、事実を信じます

アジアの、世界の平和のために日本は何ができるのか、何をなすべきなのか

たとえ主義主張は違えども、ともに考えて行かねばならないと思います





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