こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
8月、になりますとあの日航機墜落事故のことがニュースなどで取り上げられます
まずは、事故で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします
1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航123便が乗客乗員524名を乗せ、相模湾上空で垂直尾翼が何らかの理由で機体から外れ、その後迷走しながら御巣鷹山の尾根に墜落、520名の方々が亡くなった、航空機事故史上最悪の事故となりました
今回この事故について記事を書こうと思ったのは、先ごろ、某国会議員の妻、その妻の元夫さんの変死事件にいて、事件性はない、という警察発表を聞き、当初捜査にあたった警部補が、『断定する、あれは殺人事件だ』と、文春の取材で暴露したことが大きなニュースとして取り上げられていました
先日記事に書いた、伊藤詩織さんの件とか、その他警察関係だけではなく、色々な分野で揉み消しや捏造、おかしなプロパガンダが、最近は特に堂々と繰り広げられているように感じているからです
もはや隠すとか、のらりくらりかわす、とかではなく、ワクチンにしろなんにしろ、どれだけおかしいことが起きている、と多くの人が訴えても無視、もう堂々と、ことが強引にすすめられる風潮があるように思います
それと日航機事故とどういう関係があるのか
以前、小平次のブログ記事におかしなコメントが来たことがあります
記事の内容と全く関係の無い内容のコメント
『日航123便はソ連軍に撃墜された』
と言ってみたり
『日航機は自衛隊機にミサイルを撃たれた』
など、訳の分からない長文のコメントでした
墜落後、生存していた複数の乗客が埼玉県警によって焼き殺されたとして、焼死体の写真のリンクまで貼られていました
リンク先を調べて見ると、その死体の写真は袴田事件の被害者の名前が記されているとか、もう支離滅裂、しまいには昭和天皇が123便にご搭乗なさっていた、などというメチャクチャなものでした
小平次は返信として
『昭和天皇が一民間機に一般乗客と共に大阪までご搭乗になられるはずもなく、また、多くの一般公務員、民間人がこの事故の調査にかかわっており、鍛え抜かれた工作員でもなければすべての人の口を塞ぐのは難しいと思いますよ、何より遺族は今でも御巣鷹に登り、慰霊を行っています、こういうバカなことを書くのはおやめなさい』
といったようなことを返しました
ところがですね、この123便の事故原因については確かに疑惑、真実の隠蔽がされているのではないか、ということを考えている人が結構たくさんいるのです
先のコメントのような支離滅裂なものはともかく、真相を知ろうとする人たちの多くは、当時の報道や関係者の証言などを今でも集めながら調べているのです
先日、たまたま見かけたYoutubeチャンネル「ワタナベケンタロウ」さんもそのお一人です
そういう人たちがいるのは知っていましたが、以前の支離滅裂なコメントの印象が強く、123便の事故の疑惑などは、それこそ『陰謀論』だと思っていたのですが、小平次がこのチャンネルに興味を持ったのは、123便が米軍の横田基地に緊急着陸を試みようとしていたはずなのに、横田からの打診に対するコクピットの対応がボイスレコーダーに記録されていないということを知ったからでした
後の事故調査委員会や日航の発表でも、横田基地への緊急着陸の試みなど無かったことになっているようなのです
とても大きな、そして痛ましい事故でしたのでよく記憶しているのですが、当時、横田の米軍が着陸許可を出し、着陸しようとして横田へ向かったが、制御が効かず着陸ができなかったという話は、小平次の回りではみんな言っていましたし、まさか着陸をしようとしたことが無かったことになっているとは、ワタナベさんの動画を見るまで知りませんでした
だから、事故調査委員会の発表した123便の飛行経路も、横田への緊急着陸を試みていたような航跡になっていないようです
しかしながら、世界的にも衝撃的な大事故でしたので、多くの海外メディアが事故の報道をしており、その中に、複数、米軍から許可を得て高濱機長が横田基地への緊急着陸を試みていた、ということを報道しているものがあるのです
もし、それが事実であれば、なぜそれを隠す必要があるのか
小平次や周りの人がそれを知っていたということは、日本のメディアでも報道したものがあったのかもしれませんが、あるタイミングから情報統制でもあったかのように、当初の発表が替えられている、もしくはなかったことになっています
生存者の落合由美さん、この方はCAですが、当日はプライベートで搭乗していたそうです
落合さんの証言による窓の外に見えた富士山の位置、相模湖付近での複数の目撃証言、一度墜落前にレーダーから消えたことから推測される高度、などから飛行経路を割り出すと、やはり横田へ向かっていた可能性が高いようです(チェッカーズの西武球場ライブにも123便らしき?機影が映っている)
他にも疑問があります
墜落直後、米軍が現場を特定し、救助ヘリを現地に飛ばしましたが、日本側が向かっているという理由で現場上空で帰還命令が出て引き返しています
生存者の落合さんも、ヘリが来たのを見て、これで助かる、と思ったら引き返してしまった、と証言しています
この時点で、落合さんの周りには、まだ生存者がそれなりにいたらしく、うめき声や励まし合う声などが聞こえていたそうです
なぜ、米軍ヘリは引き返したのでしょう
また、米軍が墜落現場を特定できていたのであれば、日本側も情報を共有できたでしょうし、それよりも何よりも、現場付近の村の人などが大慌てで役所や警察へ連絡したにもかかわらず、やれ長野の方だとか、埼玉の方だとか、情報が錯綜しており、自衛隊の救助が始まったのは翌朝からとなったのです
なぜ、米軍や住民の通報が多数ありながら、自衛隊は場所を特定できず、救助が遅れたのでしょうか
『場所は特定していたが夜間のため、救助が困難だった』
という話もあるようですが、ワタナベさんへの情報提供者で、当時、若いころに自衛隊を退官したばかりの元自衛官の方が、その日ドライブで御巣鷹山付近にいたそうです
その方によれば、御巣鷹山付近で自衛隊が道路を封鎖しており、引き返すように言われ、また、ヘリポートを作るために河原を整備している自衛隊を目撃したそうです
その方は、あのくらいの山ならば、夜間であっても救助物資、道具などをかついで現場に向かうことくらい、自衛隊ならワケない、そうです
その上で、救助が翌朝からになったのは不思議だ、と言っています
また、ドイツ人特派員が後にヘリで現場付近を飛んだとき、現場から2、3キロのところに高い鉄塔が立っており、そこまでの道も舗装されいて車両ですぐ近くまで行けたのではないか、と疑問を呈しています
その鉄塔は自販機などもあり、見晴台のようにもなっており、村の人や警察なども知っていたと思われますし、自衛隊の詳細地図にもあったと推測できます
そんな重要なポイントがあったにもかかわらず、現場の特定が遅れ、入山経路も二転三転し、さらにその後の報道や証言などにもまったく取り上げられていないことも不自然なことです
日本の自衛隊がそこまで無能だとはとても思えません
他にも、当該機を誘導するように飛行していた2機のファントムの目撃証言が複数ありますが、無かったことになっている、NHKなどの第一報の時刻が後に改竄されている可能性がある、等々いくつもおかしなことがあります
そのような中、今年の6月にこんな裁判がありました
『日航機墜落記録の開示認めず 乗客遺族、再び敗訴』
真相を知りたいと、ご遺族の方が、ボイスレコーダーの公開を求め提訴したものですが、結果はタイトル通りです
横田基地への着陸の試みがボイスレコーダーにない、米軍ヘリの帰還、救助活動の遅れ、これらが致し方なかったことなのか、何かを隠そうとしているのか、隠そうとしているのであればその理由は?
事故調査委員会の報告による事故原因は、当該機が事故以前に尻もち事故を起こし、その際のボーイング社の修理ミスにより飛行中圧力外壁が外れ、垂直尾翼が落下、以後制御不能となり墜落とのこと
事故より前、当該機に乗ったパイロット数名の方が、『操縦桿を微調整しながら飛ばないと真っすぐ飛ばない』とか、『最後方の化粧室の扉が開かなくなることがある』との報告をしています
化粧室の扉が開かない、というのは、尻もち事故の時の修理の不備と、勤続疲労により後方部に亀裂等が入り、圧がかかり扉が開かなくなっていた、という見解もあるようです
そうだとすると、そのような報告があったのであれば、運行を中断し、原因の究明、調査、整備をすべきだったと思いますが、JR福知山線の事故の時のように『安全輸送』よりも『利益追求』が優先し、当該機を飛ばし続けていたことになります
『安全輸送』よりも『利益追求』したことで叩かれることを恐れたのでしょうか
アメリカのボーイング社が自らの整備ミスを素直に認めたこともなにか違和感があります
『陰謀論的』事故原因として、事故当日、相模湾沖で無人標的機に向けて追尾ミサイルの発射訓練をしていた自衛隊が、誤射をした、というものがかなり多く語られています
確かに、それであれば、横田への着陸をさせなかった、そして着陸を試みていたことを隠蔽、米軍に救助され、事故原因が発覚されることを恐れ救助を断った、生存者が極力少なくなるまで救助活動を遅らせた、辻褄は合うように思えます
当日、地方テレビ局で、夜間『救助に向かった自衛隊員が射殺された』とテロップが流れ、多くの人がそれを見て騒然としたそうですが、すぐに誤報だったとお詫びが入りました
時の中曽根首相が、レーガン大統領に、『日本はアメリカの不沈空母だ』と言って世論から非難を浴びた矢先、自衛隊のミスなどあってはならなかった
『これはダメかもわからんね』
とは、一部公開されたボイスレコーダーの高濱機長の言葉です
これは当時、高濱機長が飛行を諦め、墜落したと非難がありましたが、ワタナベさんの検証では、時間的に横田への着陸を試みていたときではないか、と推測しています
舵の効かない機体を、両翼のエンジンの出力の調整でどうにかバランスを保ち、横田への着陸を試みた、しかし、場所は住宅街、もし失敗すれば多くの基地周辺の住民を巻き込むかもしれない、高濱機長はその時の機体の状況も考え、横田への着陸について『これはダメかもわからんね』と言った可能性が高いようです
当時公開されたボイスレコーダー、コクピットの必死のやりとり、今思い出しても涙が出そうになります
墜落直前、必死に家族に手紙を書いた人もいらっしゃいました
自衛隊のミスが原因だった、とは小平次としては考えたくもないですが、どのようなことが事故の原因であったにせよ、38年経っても、多くの疑問が残されていることは間違いありません
520名もの人が亡くなり、それを悲しみ、心の傷を負った数千人のそのご家族、今なお真相が知りたいと裁判まで起きている
コロナ騒動やワクチン、強権と洗脳で自由のみならず命まで奪われている、殺人事件が、強制性交が、もしかしたら隠されようとしている
なかったことをあったことにされる、あったことをなかったことにされる、白いものを赤だと言わされる、これほど無念で残酷なことはありません
ご遺族にとってはまだ何も終わっていないのかもしれません
冒頭で申し上げた通り、全ての人の口を塞ぐことはできません、少しずつ少しずつ、新たな証言などが出てきています
真相の究明がなされることを願います
日航機事故の疑問について、ほんのさわりだけのつもりが長くなりました、最後までお付き合いいただき有難うございました
御免!