こんにちは、小野派一刀流免許皆伝小平次です
小平次は、今の生業に就く直前、タクシードライバーを4年半ほどやっていたんです
その時のことを、インド放浪記風、日記調、私小説っぽい感じで記事にしていきます
本日は
『強制降車』
乗車地『茅場町』
強制降車地『東陽町手前付近』
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ある日の夜、おれは新大橋通りを水天宮方向から築地方面へ向かって車を走らせていた。茅場町の交差点、一人の若いサラリーマンが手を上げる。
『江東区役所まで』
『江東区役所ですね、かしこまりました、ではこの交差点を左折、永代通りを真っすぐでよろしいですか?』
『ああ、それでええよ』
男は20代から30代前半、関西訛りで片手には缶チューハイを持っていた。酔っぱらった雰囲気から、どこかで飲んで、飲み足らず缶チューハイを買って飲み足している風だった。
おれは男に告げた通り、交差点を左折、永代通りを東陽町方面へ向かって走る。永代通り手前でふと思う、この時間にこの男が江東区役所に用があるわけがない、男の自宅が江東区役所付近だという事だろう、降りる場所によっては、永代橋を渡って左斜めに葛西橋通りを行った方が近い可能性もある、おれは永代橋に差し掛かってから、念のためにもう一度確認をした。
『お客様、このまま永代通りからでよろしいのですよね』
すると男がキレた
『アアッ!!??、それでええ言うたやろ!! アン!!? さては自分、そうやって何回も聞く言うことは道がわからへんのやろ!!』
『いえ、すみません、道はわかっておりますので大丈夫です…』
『それやった何度も聞くな! ホンマに東京のタクシーの運ちゃんは感じ悪いわ、愛想もないし、運転は下手やし!大阪やったらタクシー乗ってこんな気分になることないわ!!』
男はその後もネチネチとおれの運転に『下手くそ!!』と、何度もケチをつけたり、大阪はどうだとか、東京はロクなもんじゃない、そんな罵声をおれに浴びせ続けた。
ちょっと確認をしようとしただけなのに、なんでここまで言われなくてはならないのだ?タクシードライバーをやっていれば、それなりに理不尽な客はいるし、腹の立つこともある、ただ、コイツの場合、何故か無性に腹が立つ、多分それは関西弁で、東京はどうだとか、大阪はどうだ、とかいちいち比較して悪態ついているのが、おれを苛立たしい気分にさせたのだろう。
テレビ番組などでも大阪と東京の比較、違い、そんなことを特集している番組がよくあるが、おれと妻は夫婦そろってそういう番組が大嫌いだった。東京下町生まれの妻は、大阪に対抗心なんて持っていないし、そもそもおれは神奈川生まれの神奈川育ちだ、東京にも大阪にも対抗心は無いし、憧れも無い、まあ、あとは若造に言われている、というのもあったかもしれない。
(我慢、我慢、東陽町はもうすぐだ、降ろしてしまえばもう二度と会わない)
東陽町の交差点まであと少し、というところでおれは再度確認をした。
『東陽町の交差点を左折、江東区役所方面にまいります。』
すると…。
『アアッ!!?? なんで区役所の方へ行くん!? 江東運転試験場言うたやろが!!!! 区役所の方行ったら反対やんけ!!! おれがもし寝てて勝手に区役所の方へ行ってたらエライことになるやろが!!! ハッ、だから東京の運ちゃんはあかんねん!!』
はあ? お前、確かに江東区役所って言っただろうが、おれは必ず行先を復唱している、間違えたのはお前の方だろ?
『せっかくいい気分で飲んでたのに、最悪やわ!!』
ここでおれの堪忍袋の緒が切れた。ハザードを焚き車を左に寄せ、そしてドアを開け後ろに振り返った。
『お前、ここで降りろ! 金いらねーから降りろ!』
『アア!? なんやと!』
『だから金いらねーから降りろって言ってんだよ!金いらねーってことは客じゃねーってことだよ!だから降りろ!』
男はおれを睨みながら、まだ『大阪やったら!…!』とブツブツ言っている。
『おれは生まれも育ちも神奈川藤沢、東京と大阪の違いもなにも興味ねーんだよ!何より、お前、間違いなく江東区役所って言ったからな!』
男は何か言いながらようやく車を降りた。歩きながらおれを睨むように何度か振り返っていたが、アイツも江東試験場付近なら歩いてもそう時間はかかるまい、おれは無視して交差点を左折、銀座方面へ引き返した。
ああああ、やってしまった、おれの脳裏に、今離れて暮らさなくてはならなくなっている娘の顔が浮かぶ、法律系の資格試験に合格し、早くまた一緒に暮らせるようにならなくてはいけないのに、そのために今は少しでも稼がなくてはならないのに、当然ここまでの料金は自腹だ、すまない、娘よ…。
翌日、おれはこの件を先輩ドライバーに報告をした。先輩は、
『それは一番やっちゃだめなことだよ、プロは走った分の料金は必ず回収する、まあ、気持ちはわからなくもないけど』
その通りなのだ、これはダメなのだ、これまで、後部座席から防犯用のアクリル板を蹴りまくられ壊されたりとか、もっと酷い目にあったことも数々、どうして今回は我慢がならなかったのだろう、資格試験の勉強、離れて暮らす家族、おれも少し精神的に少し疲れていたのかもしれない
後にも先に、おれが客を『強制降車』させたのは、この時だけである。
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今思うと、このお客さんも、おそらく本当は望まぬ形で東京の支店か支社に配属になって、何か理不尽を感じ、悔しいやら寂しいやら、故郷を想いどこか切なく心が疲れていたのかな、と思ったりします。私が大学を出て最初に入った会社は、京都に本社があり、私の同期、後輩で京都から東京に配属になった人たちがいましたが、ある程度年が経つまでは、どこか何かにイライラしていた人も多かったように思います。