晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

忘れてはならない「淡路・阪神大震災」から25年。 

2020-01-17 08:18:13 | 思うこと

今朝は早朝からラジオで 「淡路・阪神大震災の記念追悼番組」が報道されていた.。 昨夜から放送されていたのかもしれないが 私が枕元のラジオのスイッチを入れたのは5時前だった。 寒空の中 あの震災で家族や友人など 大切な人を亡くした人々が各地に集まって 追悼の時を持っている。5時46分 黙祷! 亡くなった6434人を忍ぶ。

我が家では震度4ぐらいだったが寝床の中で なかなか収まらない地震が恐ろしかった。階下の食器棚の観音開きの扉が開き 食器が床に木端微塵になって散らばっていた。 テレビで次々に入ってくる報道は 目を疑うような惨事が繰り広げられた。 夜が明けると 高速道路が倒れている! あちこちで火災が発生して煙が次々と増えていく。赤い火が見える、、、、  震源地は東灘? 東灘には叔父の一家やいとこが住んでいる。電話も通じない状態の中で 叔父家族は全員無事だったようだ。 

鉄道はもちろん通らないので 多くの人が手に支援物資をもって 背中に大きなリュックを背負って 鉄道の線路の上を歩いて延々と被災地に向かう。 数日後 夫の運転で水などを届けるために朝早く家を出たが 幹線道路は破壊されているし 通れる道は救助の緊急車両で一般車は通れず 回りまわって伊丹のあたりを通って 夜遅く叔父の家にたどり着いた。途中公民館などでトイレを借りることもできず青ざめた。 家々はぺしゃんこになってゆく手を阻む。六甲山の裾に建てられていた叔父の家は 太い鉄骨の梁が傾いてむき出しになっていた。 よく助かったねぇ、、、、、

あれから25年。6434人の犠牲者。神戸の街はきれいに生まれ変わったが 震災によって泣き 人生が変わった人は多い。

そのあと東日本大震災が起こり一層大きい被害が日本を襲った。 この時も 津波のすさまじさに こんな恐ろしいことが起こるものなのか とテレビにくぎ付けになった。 東北地方には 親戚も友人もいなかったが 街も家も車も人もゴーっと流されていく現実に 被災者の恐ろしさを思った。

人間の文明によって地球の温暖化が加速し 自然災害の規模が大きくなり 地球上の全生物があえいでいる。 明日にも当地でも地震が起こるやもしれない。 とりあえず 明日の震災を想定して心することが大切だ。 あの震災を忘れない。