私は27年前45歳の時に「聴神経腫瘍」の摘出術を受けた。 そのころはまだ MRIという医療機器は大阪府下で数台しかない時代だったが この腫瘍は良性だったので命の不安は解消された。しかし 腫瘍はずいぶん大きくなって脳幹近くまで迫っており、「10年前だったら命は助からなかったよ」と言われた。その腫瘍をきれいに摘出していただいたが顔面神経が麻痺するという後遺症が残った。顏半分の神経が麻痺しているので 目をきちんと閉じることも、瞬きすることもできなくなった。左耳は聞こえなくなり 顏半分が垂れ下がり 命は助かったものの 誰にもには会いたくなかった。そんな時知り合ったのが 今、紀の川市に住む 同じ病気の手術後の後遺症で悲嘆にくれていた7歳年下の彼女だった。
手術後 何度かお会いし また ご主人と一緒に我が家を訪ねてきてくださったこともある。お互いに歪んだ顔を見つめあっていろんな後遺症を嘆きあい、情報交換したこともある。 今日、その彼女と25年ぶりに会った。 昨年末、どうしているかと久しぶりに電話してきてくれた時 夫の看病真っ最中だった。 話をしていると彼女も3年前にご主人をすい臓がんで亡くされたとのこと。あまり丈夫じゃない彼女は どれだけ心細く辛い日々を過ごしてこられたことだろう。 彼女は電話口で「あまり話がスムースにできない。」というので 「なぜ?」と聞いたら 「人と話すことが少なくなって口がうまく動かない」という。 今日、桃を買いに行ったのは 彼女と会うのも目的で 彼女のお宅にお邪魔した。 朝早くから桃を買いに行ったので彼女のお宅についたのはまだ10時前だったが しゃべるは、しゃべるは。お昼ご飯まで用意していただいて 夕方の4時までしゃべり続けてお暇した。 同じ病気を体験し 連れ合いをなくし よく似た境遇に話題が次々あふれ 「よくしゃべったねぇ。」 私は普段からおしゃべりだが 彼女の口もすっかり滑らかになったね。 近いうちの再会を約して 無料の快適な京奈和道で帰路についた。 楽しい一日だった。 ありがとう。 辛いけれど頑張ろうね。
追記
手術の後、後遺症に悲嘆に暮れていた私は その時の気持ちを新聞に投稿した。その記事が彼女の目に留まり 私の電話番号を探し出して訪ねてきてくれたのだった。 他に、やはり同じ病気で、その新聞への投稿記事から新聞社を通じて心寄せてくれる方がいた。彼女は私たちよりももっと早くに手術を受けておられたが 医学は日進月歩。彼女は ネットなどない時代に 必死に情報を集め 東京まで行って「神の手を持つ」脳外科医の執刀で手術された。 私たちの場合は 顏の両側にある聴神経の片方に腫瘍が出来たのだが 彼女は 次々に両方とも腫瘍ができ 両耳が聞こえなくなり 両側とも顔面神経がマヒしたので 両側の目が瞬きもできなくなり 顏の表情を作ることが出来ず 話すことは筆談と手紙で 電話はファックスで という辛い生活だった。それでも新聞に投降した私を気遣い いろんなことを教えてくださったが その後ご無沙汰しており 今お元気でおられるかなあ?
最近私たちのような病気で顔面マヒになるような話は聞かないが それだけ医学が進歩して、もっとうまく手術が出来るようになったのだろうか?
脳腫瘍と聞いて35年も昔に若くして同様の病気で同僚を亡くしました。
もしかしたら現在なら助かったかも知れませんね
先日も80歳を超える方から電話があり体中の痛みで1か月眠れない日が続いて死んだ方がましと言うくらい大変だったとの事
中々病名の診断がつかずやっと最近この病気に造詣の深い先生にめぐり会って劇的に楽になったそうです。
病院次第ではなく先生次第だと思い知らされたとの事。
もうお年ですから「体をいたわりつつ」といきましょう