小1の孫がとらえている「死ぬ」ということ。 母親が「おじいちゃん死んじゃってもう会えなくなったね」 と言うと 「おじいちゃんは骨になってしまったけれど お婆ちゃんのところにちゃんとおるやん」 と言ったそうだ。 私がいつも過ごすリビングには 少し微笑んだような優しい顔をしてこちらを向いている、生前そのままのような写真だ。その前には小さな桐箱の中の小さな骨壺にわずかな骨が収められている。 元気な姿ではないけれど いつもそばにいてくれているような気がする。 一日中 その写真に声を掛けながら過ごしている。孫は 姿は見えなくても「おじいちゃんがちゃんといてる」と感じてくれているのだ。 そう話す息子に感激して報告してくれるママに感謝。 いずれ 私も,ママ方のおじいさんも, おばあさんも死んでゆく。それでも 「ちゃんといてる」と感じてくれているって とてもうれしい感性ですね。
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素敵ですね♪
我が家の孫にも、そんな優しさと感受性を持って貰えるよう、頑張ってみます。
自分が歳を重ねてくると、周りのアチコチで病に侵されたり、高齢になったりで、命の重さ、儚さ、寂しさを否が応でも突きつけられることが増えて来ます。今般グリーンゲイブルズのアンとダイアナ…と大切にしてきた友が『再発』という事態になり、500kmを超える距離を走ることにしました。嬉しかったのは『一人では行かせられない!』と、娘が同行すると言ってくれたこと。『他のことでは無いから。どれだけ大切なの人なのかは解っているし、行っておけば良かったと後悔して欲しくないからから…』と。
孫には初めての長旅になりますが、震災の跡いまだ消えやらぬ気仙沼まで行って来ます。何物にも代えがたい絆のために。