2月24日、オバマ大統領の最初の議会演説が行われました。
つねづね思うのですが、日本の政治家も、自分が役者になったつもりで真剣に“政治家”を演じるべきではないかと思います。少なくとも、数十分の演説の最中に原稿をあまり見ないで丸暗記してでも喋ってほしい。その場は役者としての政治家の独壇場なのだから。そう思いながらも、やはり日本の政治家がオバマ大統領のようにやったら、かえって嫌ったらしいし、気持ち悪いでしょう。やっぱり、役人が書いた原稿を丸読みするしかないか、と諦めることにします。
今回の議会演説の内容は厳しい問いかけであり、アメリカ経済を立て直すのは大変なことだと分かります。ただ、それなりに国民に訴えるべきことは訴えることが必要です。日本の政治家は、そこが足りないようです。
もっとも、再三書くようになりますが、米国ではプロのスピーチライターという職業があり、実際にインターネットのサイトでも公に政治家、経営者付きのライター専門職が募集されています。オバマ大統領の専属スピーチライターとしてすでに有名になっているJ・ファブロウ氏のように、大統領候補クラスの国会議員付きライターとなることは超狭き門です。日本でもこうした専門職業として、政治家のみならず上場企業経営者の専属スポークスマンとなるべきスピーチライターを付けることは雇用を広げる意味でもいいのではないでしょうか。
・・・と、思いつつ、そうすると、今ののらりくらりの曖昧調、晦渋調、だんまり調、いばり調、空とぼけ調、泥酔調、記憶喪失調に代わって、不祥事をいかにうまく言いくるめるかという変な美文調、弁明調、漢語調、外国語調、法律調、論文調、引用調、数学調などが居並んだ“名文(迷文)”が横行し、聴き手(読み手)をよけいにくらましてしまうのでしょうか・・・。
さて、ともかく、先の議会演説をまたじっくり読んでみました。政策的な意味は専門家にお任せします。例のごとく、国民(聴き手、読み手)を意識した、人の心をつかむ文章をちょっと長いですが、最後段から引用してみます。
演説文に、果たして文学調が必要かどうかは、読者自身が判断してください。
(『オバマ大統領の言葉を書いた男 ― 世界を動かす「文章学」』)
(『オバマ氏勝利演説 ― 人の心を動かす「文章学」』)
(米国大統領の議会演説より)
― そして私はかつて訪れたサウスカロライナ州ディロンの学校に通う少女、ティシェーマ・ベシアさんを思う。同校は天井から水が漏れ、壁のペンキははがれ落ち、電車が猛スピードで教室の横を通るため1日6回も授業を中断しなければならない。
― 人々は彼女に学校は救いようがないと言うが、ある日の放課後、彼女は公共図書館に行き、この議事堂に座る人々にタイプで手紙を打った。手紙を送る切手代は校長先生に頼みに行った。手紙は我々に支援を求め、こう書いてある。「私たちは弁護士や医者、あなた方のような議員、そしていつの日か大統領になろうとしている学生です。私たちはサウスカロライナ州だけでなく、世界を変革することができるのです。我々は簡単にあきらめる人間ではありません」
― 我々は簡単にあきらめる人間ではない。
― これらの言葉や話は、私たちをここ(ワシントン)に送り込んだ人々(有権者)の精神について何かを語っている。苦しい時でも最も困難な状況でも、柔軟さ、上品さ、忍耐、将来や繁栄に責任を持とうとする意志があるということを教えてくれる。
(日経新聞の翻訳文による)
つねづね思うのですが、日本の政治家も、自分が役者になったつもりで真剣に“政治家”を演じるべきではないかと思います。少なくとも、数十分の演説の最中に原稿をあまり見ないで丸暗記してでも喋ってほしい。その場は役者としての政治家の独壇場なのだから。そう思いながらも、やはり日本の政治家がオバマ大統領のようにやったら、かえって嫌ったらしいし、気持ち悪いでしょう。やっぱり、役人が書いた原稿を丸読みするしかないか、と諦めることにします。
今回の議会演説の内容は厳しい問いかけであり、アメリカ経済を立て直すのは大変なことだと分かります。ただ、それなりに国民に訴えるべきことは訴えることが必要です。日本の政治家は、そこが足りないようです。
もっとも、再三書くようになりますが、米国ではプロのスピーチライターという職業があり、実際にインターネットのサイトでも公に政治家、経営者付きのライター専門職が募集されています。オバマ大統領の専属スピーチライターとしてすでに有名になっているJ・ファブロウ氏のように、大統領候補クラスの国会議員付きライターとなることは超狭き門です。日本でもこうした専門職業として、政治家のみならず上場企業経営者の専属スポークスマンとなるべきスピーチライターを付けることは雇用を広げる意味でもいいのではないでしょうか。
・・・と、思いつつ、そうすると、今ののらりくらりの曖昧調、晦渋調、だんまり調、いばり調、空とぼけ調、泥酔調、記憶喪失調に代わって、不祥事をいかにうまく言いくるめるかという変な美文調、弁明調、漢語調、外国語調、法律調、論文調、引用調、数学調などが居並んだ“名文(迷文)”が横行し、聴き手(読み手)をよけいにくらましてしまうのでしょうか・・・。
さて、ともかく、先の議会演説をまたじっくり読んでみました。政策的な意味は専門家にお任せします。例のごとく、国民(聴き手、読み手)を意識した、人の心をつかむ文章をちょっと長いですが、最後段から引用してみます。
演説文に、果たして文学調が必要かどうかは、読者自身が判断してください。
(『オバマ大統領の言葉を書いた男 ― 世界を動かす「文章学」』)
(『オバマ氏勝利演説 ― 人の心を動かす「文章学」』)
(米国大統領の議会演説より)
― そして私はかつて訪れたサウスカロライナ州ディロンの学校に通う少女、ティシェーマ・ベシアさんを思う。同校は天井から水が漏れ、壁のペンキははがれ落ち、電車が猛スピードで教室の横を通るため1日6回も授業を中断しなければならない。
― 人々は彼女に学校は救いようがないと言うが、ある日の放課後、彼女は公共図書館に行き、この議事堂に座る人々にタイプで手紙を打った。手紙を送る切手代は校長先生に頼みに行った。手紙は我々に支援を求め、こう書いてある。「私たちは弁護士や医者、あなた方のような議員、そしていつの日か大統領になろうとしている学生です。私たちはサウスカロライナ州だけでなく、世界を変革することができるのです。我々は簡単にあきらめる人間ではありません」
― 我々は簡単にあきらめる人間ではない。
― これらの言葉や話は、私たちをここ(ワシントン)に送り込んだ人々(有権者)の精神について何かを語っている。苦しい時でも最も困難な状況でも、柔軟さ、上品さ、忍耐、将来や繁栄に責任を持とうとする意志があるということを教えてくれる。
(日経新聞の翻訳文による)