富岡八幡宮に伊能忠敬が歩いている―。
伊能忠敬像(富岡八幡・江東区)2009.03.10
伊能忠敬は、教科書で誰もが知っている。日本地図を作った人です。受験勉強なら、ここまでの知識で十分でしょう。私もその程度で、ほとんど興味のない歴史上の人物でした。井上ひさしの小説に『四千万歩の男』というのがあります。伊能忠敬のことを書いたもので、文庫本600~700ページで5巻分もあります。今はとても読む時間がありません。
この人物が、俄然、私の前に占拠してきました。
日ごろ、運動不足で体重が気になっていたところ、メタボ検診で、例のBMI(肥満度)がわずか「0.5ポイント」オーバー。腹囲は85cm以下なので、肥満ではありませんが、BMIの規定値をわずかでも超えたのが自分でも気に入らないのです。
女性のメタボ相談員からは、毎日のお酒を控えたら、と言われました。「お酒はカロリーが高いので」、と。
― ちょっと、待ってください! 毎日のお酒といっても、夕飯前のコップ3分の1の日本酒ですよ。こんなのは、食前酒であって、一日の疲れを取るのと食欲を増す程度のものなんです。毎晩、外で飲み歩いて酔って帰るのとわけが違います。そのアルコールをやめろというなら、一日何のために働いているのやら・・・。
と、抗議にならない意見をやんわり言ってやりました。彼女は、おそらく数字上だけのカロリー計算で言っていたのでしょう。
― ま、まあ、そうですね。それくらいのお酒は、一日働いたご褒美ですものね。では、毎日、一万歩歩きましょう。
かくして、万歩計を持ち歩くことになりました。
彼女がというより、そんなこと言われた自分が癪に障ったのです。以来、毎日歩いています。今の通勤経路では、あまり歩かないですんでしまいます。だから一駅分、朝の片道と昼休みの往復を歩いています。これでも、一万歩にはなかなかなりません。
ひたすら歩く男
そんな折り、伊能さんの像を見つけたのです。見よ、この歩きっぷり。初めの一歩。伊能さんが日本地図を作るために、ここ富岡八幡を起点に測量に発ったのは、56歳だそうです。以後、17年かけて、現在の地図と比べても遜色ない地図を作り上げました。当時は、精巧な道具などなく、ただ歩幅を一定に保って、野や山はもちろん、海岸など道なき道を歩き続けたのです。眼前に崖があろうと、滝があろうが、河があろうが、ただ突っ切って行くしかなかった(?)のです。
もともと伊能さんは大変な努力家で、それまでも商売をしながら独学で天文学などを修めていました。50歳すぎて商家を隠居してから、本格的に星学暦学の勉強を始めたといいます。
人生50年と言われていた時代に、そこから世に残る大仕事を成し遂げたのです。しかも、江戸時代、正確な日本地図を作ることは幕府の一大国家プロジェクトだったはずです。にもかかわらず、資金はすべて自腹。商売で成功した人だからこそできたわけです。
さて、私が驚嘆したのは、日本地図の偉業もさることながら、その健脚ぶりです。ひたすら歩くこと35,000キロ、およそ四千万歩。伊能忠敬の銅像に触発されて、毎日昼休みと言わず、一定の歩幅で颯爽と歩いていきます。おかげで、一万歩を超える日もたまにあります。それにしても、最近、靴底の減り方が気になります。外縁が減っていくのが分かります。そういえば、伊能さんは、いったい何足の草鞋を履きつぶしたことでしょう。