死の中で書いた『蟹工船』
『蟹工船』が相変わらず売れているようです。昨年暮までに40~50万部は売れ、その後も部数を伸ばしています。先日も地元の書店で、『蟹工船』の文庫本が平積みになっていました。あのごつい、ちょっと戦慄の走る、暗い鋭利的な感覚のする赤と黒の表紙です。どす黒い時代を反映した古い白黒映画を思わせる表紙・・・、なのに現代版として映画も蘇るようです。
私が読んだのは、20代終わり頃でした。ディテールは覚えていません。プロレタリ文学の代表作として、読んでおかなければならないと思ったのです。最初は肩を張って読み始めましたが、意外と面白くてすんなり入っていった記憶があります。“面白い”というのは、小説として面白いという意味です。中身は、悲惨な労働者階級、資本主義的な用語で言えば、被搾取者階級の過酷な労働を描いたものです。小林多喜二は、この作品で当時の特高警察の目が厳しくなり、捕らえられて酷いリンチを受け、死に至らされました。作者多喜二は、資本主義の矛盾を描くことに、当初から死を覚悟していました。
この小説がこれほどまでに売れているのは、昨年来から特に問題になっている非正規労働者と正規労働者の「格差」が顕わになってきているからということで、若者たちの間でも共感を呼んでいるようです。
マルクスが『資本論』で予言したとされる共産主義国家は、ロシア、中国など一部の国で実現しました。しかし、資本主義経済が発展して国家全体が豊かになると、被搾取者階級である労働者(労働者という言葉が重ければ勤労者)も、そこそこ個人としての豊かさを味わえるようになり、「搾取されている」という意識は衰退してしまいました。
特に景気が一気に悪くなった昨年後半から、労働者が搾取されているという考えよりも、労働者そのものが労働者の間で差別されているという考えに変わってきました。非正規と正規では、給与の額も雇用の形態も、社会保障の扱いも「格差」と言われる差別があるのです。
能力のない者が「蟹工船」に乗るという意識構造
たとえば、賃金だけで見ると、男性の「正社員・正職員」の賃金ピークは、
月額43万2800円(50~54歳)
「正社員以外・正職員以外」の賃金ピークは、
月額24万7200円(55~59歳)
その差は18万円以上もあります。働き盛りの正規労働者の賃金100%に対して、非正規労働者は57%ほどの賃金にしかならないのです(厚生労働省の平成19年「賃金構造基本統計調査(全国)結果の概況」より)。
しかも、厚生年金の加入対象や退職金支給基準に該当しない場合も多く、賃金、退職金、厚生年金を総合すると、生涯に受取るお金の格差は相当な開きとなるでしょう。それでも、好景気の間は働き方の多様性としてフリーターや派遣もひとつの生き方で通っていました。もちろん、自由に生きるということと、いつでも自由を切られるという矛盾ある狭間での生き方ではありましたが・・・。
先ほどの数字から見て、最近話題なっているワークシェアリングを行うとなると、どのように賃金を振り分けるのでしょうか。明らかなことは、今の不況下では非正規・正規とも今より賃金が低下することは避けられないということです。ただ、非正規雇用者の賃金をこれ以上下げすぎると、最低賃金法もさることながら、生活そのものが苦しくなってやっていけなくなるでしょう。そうなると、正規雇用者の賃金をもっと下げるしかありません。今の正規雇用者が、その低下にどこまで耐えられる意識があるかということが問題になってきます。
― 「正規」というのは、先に取った者の権利だ。先に取った権利者が、自分の立場を悪くしてまで「非正規」のために犠牲になれるか。
という言い方まで出てきます。
― そんなことを言ったって、会社全体が潰れたら意味がないではないか。
という声もあります。
問題の難所は、意外とこのあたりにあるのかもしれません。「非正規」になったのは本人に能力がないからだ、怠慢だからだ、運が悪いからだ・・・、理由はいくらでも付けられます。
被搾取者階級の人間がそういう階級に生まれたのは、能力がないから、努力しないから、そういう身分に生まれたからであって、そういう人間たちが「蟹工船」に乗り込まされたのだ―。こういう考え方は、まさに体制側の考え方です。そういう考え方を持たされている人は、いつ自分が「蟹工船」に乗らされることになるか、わかっていないのかもしれません。
『蟹工船』が相変わらず売れているようです。昨年暮までに40~50万部は売れ、その後も部数を伸ばしています。先日も地元の書店で、『蟹工船』の文庫本が平積みになっていました。あのごつい、ちょっと戦慄の走る、暗い鋭利的な感覚のする赤と黒の表紙です。どす黒い時代を反映した古い白黒映画を思わせる表紙・・・、なのに現代版として映画も蘇るようです。
私が読んだのは、20代終わり頃でした。ディテールは覚えていません。プロレタリ文学の代表作として、読んでおかなければならないと思ったのです。最初は肩を張って読み始めましたが、意外と面白くてすんなり入っていった記憶があります。“面白い”というのは、小説として面白いという意味です。中身は、悲惨な労働者階級、資本主義的な用語で言えば、被搾取者階級の過酷な労働を描いたものです。小林多喜二は、この作品で当時の特高警察の目が厳しくなり、捕らえられて酷いリンチを受け、死に至らされました。作者多喜二は、資本主義の矛盾を描くことに、当初から死を覚悟していました。
この小説がこれほどまでに売れているのは、昨年来から特に問題になっている非正規労働者と正規労働者の「格差」が顕わになってきているからということで、若者たちの間でも共感を呼んでいるようです。
マルクスが『資本論』で予言したとされる共産主義国家は、ロシア、中国など一部の国で実現しました。しかし、資本主義経済が発展して国家全体が豊かになると、被搾取者階級である労働者(労働者という言葉が重ければ勤労者)も、そこそこ個人としての豊かさを味わえるようになり、「搾取されている」という意識は衰退してしまいました。
特に景気が一気に悪くなった昨年後半から、労働者が搾取されているという考えよりも、労働者そのものが労働者の間で差別されているという考えに変わってきました。非正規と正規では、給与の額も雇用の形態も、社会保障の扱いも「格差」と言われる差別があるのです。
能力のない者が「蟹工船」に乗るという意識構造
たとえば、賃金だけで見ると、男性の「正社員・正職員」の賃金ピークは、
月額43万2800円(50~54歳)
「正社員以外・正職員以外」の賃金ピークは、
月額24万7200円(55~59歳)
その差は18万円以上もあります。働き盛りの正規労働者の賃金100%に対して、非正規労働者は57%ほどの賃金にしかならないのです(厚生労働省の平成19年「賃金構造基本統計調査(全国)結果の概況」より)。
しかも、厚生年金の加入対象や退職金支給基準に該当しない場合も多く、賃金、退職金、厚生年金を総合すると、生涯に受取るお金の格差は相当な開きとなるでしょう。それでも、好景気の間は働き方の多様性としてフリーターや派遣もひとつの生き方で通っていました。もちろん、自由に生きるということと、いつでも自由を切られるという矛盾ある狭間での生き方ではありましたが・・・。
先ほどの数字から見て、最近話題なっているワークシェアリングを行うとなると、どのように賃金を振り分けるのでしょうか。明らかなことは、今の不況下では非正規・正規とも今より賃金が低下することは避けられないということです。ただ、非正規雇用者の賃金をこれ以上下げすぎると、最低賃金法もさることながら、生活そのものが苦しくなってやっていけなくなるでしょう。そうなると、正規雇用者の賃金をもっと下げるしかありません。今の正規雇用者が、その低下にどこまで耐えられる意識があるかということが問題になってきます。
― 「正規」というのは、先に取った者の権利だ。先に取った権利者が、自分の立場を悪くしてまで「非正規」のために犠牲になれるか。
という言い方まで出てきます。
― そんなことを言ったって、会社全体が潰れたら意味がないではないか。
という声もあります。
問題の難所は、意外とこのあたりにあるのかもしれません。「非正規」になったのは本人に能力がないからだ、怠慢だからだ、運が悪いからだ・・・、理由はいくらでも付けられます。
被搾取者階級の人間がそういう階級に生まれたのは、能力がないから、努力しないから、そういう身分に生まれたからであって、そういう人間たちが「蟹工船」に乗り込まされたのだ―。こういう考え方は、まさに体制側の考え方です。そういう考え方を持たされている人は、いつ自分が「蟹工船」に乗らされることになるか、わかっていないのかもしれません。