春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

6 散歩・・・節三の後姿を追いかける

2015-11-15 01:36:24 | 節三・Memo
 
明治43年8月16日
大阪歌舞伎尾上松鶴一座が杮落しをした康楽館です。
無論、当時は写真の手前の歩道、車道のインターロッキングはありませんですよね。
左の6角形の小さいボックスの中には電話が置いてあります。
当時小坂村は鉱山のおかげで村民の生活はかなり開放的で繁華されていたと記録されています。

演題は「寿式三番叟(ことぶきさんばそう)」「仮名手本忠臣蔵」


奈落。八人の従業員が横棒を押して舞台を上げたり、下げたり。



車止めのずっと向こうが康楽館の入り口です。
この日13歳の節三は家族が楽しみにしていた康楽館での歌舞伎見学を断り、十和田湖外輪山を源流とする写真、前方の丸い山の沢から流れ落ちる60メートルの滝を目指して歩き出します。
兄六郎が勧めた柔道家になる決心をするためです。


「日本の名瀑100選」の一条です。大蛇の化身と言われ、
滝の左に孫左衛門神社がありますが、当の孫左衛門その昔、地主で力を誇示するため、物を投げてはいけないと言い伝えられている七滝に薪を数十本投げ落とした。
突然の大地を揺るがす、唸り声と共に、滝つぼから薪が浮いてこない。
その日から、夜な夜な傷だらけの大蛇が、孫左衛門の夢枕に現れ、一言、二言、三言、恨みの罵声で苦しめる。
食も無く、寝ることもできず、餓死寸前の病の床で一心、大蛇への謝罪と己の傲慢さを反省し神社を作った。
と、いう謂れ。その後、元気、元気、皆にありがたく思われるお人になった・・・と!


・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日雨。
カフカの恋人・ミレナの手紙。(6回目の読みに入るようです)
ディラスの モディラート・カンタービレの二冊ががベットで横になっています。

私も・・・・。
コメント
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