明治43年
8月16日気温は鰻上りに高くなった。
母親から10銭を貰い、節三は一人で七滝へ向かった。
七滝へ行くためには今日�達落しの康楽館の前を通らなければならない。
欅の木に括り付けている幟が小さい見える。
康楽館の入り口の前の原っぱに大きな塊がいくつか見えた。
幟が風に揺れている。塊は黒い作業着姿の三交代で働く空け番となった抗夫達であった。
徳利を抱え、酒盛りのまっただ中である。踊ったり、歌ったり、昨夜の坑内の出来事いきり巻いているが、ろれつが回っていないないようだ。
節三は酔っ払いたちの横をわき目振らず歩いていった。
1本目の角を左に曲がると急勾配な坂道が続くのだが、中腹まで一気に歩き続けた。
鉱山の煙害で伐採され枯木が、道端に山積みになっている。
やがては大館の製材所が住宅用の柱にし、囲い板になってしまう宿命。
夏の暑さが広々とした空に溢れていた。
村と鉱山は伐採地に、ニセアカシアを植林する計画で村の景観の復活と住民の怒りを抑えた。
道中5人の木こりと出会った。その1人に太田家に出入している農夫がいて、節三に声をかけたが節三は聞こえない振りをして通り過ごした。
後ろで頬被りの手ぬぐいで腿をぱしん、ぱしんと叩く音がした。
滝が見え、水しぶきが節三の肌を濡らした。節三は、
七滝の滝壺の前にある七滝神社に目もくれず、いきなり服を脱ぎ、ふんどし一丁の姿になるとほぼ垂直の崖、一段20尺の高さを2段、3段と駆け上り5段目にある小さな壺までよじ登った。
小坂川の上流、身を切る冷たさが節三を奮い立たせると微動だにしなかった。
康楽館の�達落しに行くのを断ってまで七滝に来て、落ちてしまえば大けがで済まない、この日の突拍子もない節三の行動は、あくる日、兄六郎が東京へ行く直前にわかった。
「俺に、柔道を習わせてくれ」父、新助に申し入れた。
荷造りが終わった六郎は節三の顔をじっと見た後、にやりと笑みを浮かべ紅顔を崩した。
父新助は
「しめた・・」と思った。
「そうするか」低い穏やかな口調で賛成をした。
喧嘩ばかりの節三が柔道に夢中になれば騒ぎも収まる。礼儀も少しは身に付くだろう。
「金はいくらでも出すから、柴平の道場へ通ってみるか」と寛大な気分になった。
だが新助の思惑とは違う方向に向かっていく。
「しめた」は早合点であった。
六郎は1か月前に「白瀬矗」が出した新聞記事の南極探検隊員募集の面接のための上京。
節三は「喧嘩に勝つための柔道」
を目指していたのである。
六郎は門の外でぐっと胸を張るとさっと駆け出した。