弘前城は29万石。
30センチジャッキアップを待つ天守

東北で唯一の現存天守 弘前城
5月の連休あたりの桜 桜 桜。別世界にいるような気分になりますね。
幕府から築城許可が下りたのが1609年(慶長14)
築城の開始は、1610年(慶長15)
翌年には五層の天守閣を構える平山城「高岡城」が完成。
同時に城下町の建設も進められたとのこと。
築城主は2代藩主・信枚。

この時点では未完成のよう。
完成は約80年後の元禄年間。
元禄7年(1694年)に石垣築造の起工式が催され、
同8年(1695年)に石垣築造工事着手、
同12年(1699年)にようやく完成します。

石垣の右少し膨らんでいる箇所の崩落を防ぐ工事。
曳家後天守がこの場所に戻るのは、2021年(6年後です)

8月16日から始められた天守の引っ越し先です。
約78,91メートルの曳家工事。見たかったですね。
曳家工事は1897年(明治30年)と1915年(大正15年)の2回。
いずれも石垣の崩落予防工事のため。
土台が崩れたら、元も子もないですから・・・ね!!

1627年(寛永4年)、鯱に落雷。
弘前城天守(当時は五層の大天守)の五層目から順に燃え広がり、吊されていた鐘が熱で真っ赤に燃えた。
灼熱の鐘が地下の火薬庫まで焼け落ち、火薬に引火し大爆発。
弘前城の天守は、武器・火薬庫として使用していたため爆発した際の火柱は約20km程離れた碇ヶ関からも見え、飛散物は8kmほど先まで飛んだらしい・・・・。
これを機に城名を「高岡」から「弘前」へと変えました(1628年)


30センチジャッキアップを待つ天守

東北で唯一の現存天守 弘前城
5月の連休あたりの桜 桜 桜。別世界にいるような気分になりますね。
幕府から築城許可が下りたのが1609年(慶長14)
築城の開始は、1610年(慶長15)
翌年には五層の天守閣を構える平山城「高岡城」が完成。
同時に城下町の建設も進められたとのこと。
築城主は2代藩主・信枚。

この時点では未完成のよう。
完成は約80年後の元禄年間。
元禄7年(1694年)に石垣築造の起工式が催され、
同8年(1695年)に石垣築造工事着手、
同12年(1699年)にようやく完成します。

石垣の右少し膨らんでいる箇所の崩落を防ぐ工事。
曳家後天守がこの場所に戻るのは、2021年(6年後です)

8月16日から始められた天守の引っ越し先です。
約78,91メートルの曳家工事。見たかったですね。
曳家工事は1897年(明治30年)と1915年(大正15年)の2回。
いずれも石垣の崩落予防工事のため。
土台が崩れたら、元も子もないですから・・・ね!!

1627年(寛永4年)、鯱に落雷。
弘前城天守(当時は五層の大天守)の五層目から順に燃え広がり、吊されていた鐘が熱で真っ赤に燃えた。
灼熱の鐘が地下の火薬庫まで焼け落ち、火薬に引火し大爆発。
弘前城の天守は、武器・火薬庫として使用していたため爆発した際の火柱は約20km程離れた碇ヶ関からも見え、飛散物は8kmほど先まで飛んだらしい・・・・。
これを機に城名を「高岡」から「弘前」へと変えました(1628年)

