38年、訪れたくなかった甘楽小幡の石垣を流れる雄川堰。
春には、堰に散り、流れる、桜の花びらは、踊っているようだった。
小幡を過ぎて轟、秋畑地区にキャンプ場作る話に便乗して、
あえなく、頓挫した、悔しい思いもした。
幾度、見たことか!
そのころと、変わらない石垣の雄川堰。
甘楽町は、初代上野小幡藩の領主奥平信昌(1555年生)の、
祖父、親父が、代々仕切っていた土地。
奥平信昌は、豪傑、力持ち、長篠城で、武田勝頼の勢いを止める。
その2年前の出来事。
大軍を率いた武田を食い止めるため、
徳川家康は、苦肉の策、を信長に相談。
信長は、徳川家康の、瀬名姫との合作、
おきゃんな長女「亀姫」を嫁がせるよう命令(1573年)。
そのために、武田家に出した、人質の妻(16歳)を離縁し、
後武田の手で、妻、弟(13歳)を、失うが・・・・。
後年、小幡藩領主は、織田信長の次男「織田信雄」が受け、
織田信雄直径で8代領主「信邦」の明和事件によって、
松平家に移り、4代で「廃藩置県」
歴史のある町、甘楽でもある。
小幡藩を支えて、なにも語らない、雄川堰である。