1791年、裏参道から黒川の渓流に、足を止め、
前原藤次郎親子、並木源治らに、文治郎が声をかける。
ここらで「飯にしようか」
表参道、鳥居をくぐって、三峰神社社殿までは、
一時半(3時間)は山道。
800年代、淳和天皇が弘法大師に彫らせた11面観音像と、
本堂を建てた。
戦いで、山主が絶え、140年の荒れ地の時代もあった。
27年の歳月をかけて荒廃を嘆いた、修験者が全国を行脚し、
集めた金で、1502年再建した社殿。
その後は、徳川の加護によって、
天台宗の修験の関東総本山となった三峰神社。
「武州公儀御彫物棟梁関東彫物大工」
『日光山彫物棟梁』の肩書を持つ文治郎。
3人の弟子とともに、
荒れた社殿修復の彫刻を頼まれ、
9年間、険しい山道を登ったり、降りたり。
文治郎、
煙管の時間が長くなる61歳。
榛名山麓の「西明屋八幡宮」を、
彫り上げたばかりでした。
黒川を渡れば700メートル、。
参道脇の川沿いに1億2000年前の縄文時代、
イノシシ、カモシカ、ウサギ。タヌキ、ムササビを食して、
人が住んでいたなど、文治郎一行、思いもしない。
神庭洞 👇
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☝ 2018.8.23