遅すぎた夏の陽ざし、
遅れを一気に取り戻した陽射し、
私はカーテンを閉め、
椅子の背もたれに、首をカックン、くりかえしカクン。
旧暦八朔の午前です。
関口文治郎、1731年群馬県勢多郡(現 みどり市)上田沢に、
生れた彫刻家。
12歳の頃には、生家の裏山を抜けて、
当時日光東照宮の彫刻の保全、補修を生業にしていた、
石原吟八が住む花輪(村)で、
吟八の仕事場に通います。
文治郎の彫刻の才能は、当時から近村に名を轟かせました。
師匠の吟八は、
高松又八郎邦教・沼田真田に仕えた家系。
232戸の花輪(村)に移り住んで、祥禅寺に眠る。
1713年にはすでに、公儀彫物師になっていた人物です。
文治郎、吟八の跡を継いで、
花輪に類を見ない、花輪彫刻集団を、
創るのですが、
師匠石原吟八の兄弟弟子のなかでも、
一目置かれた彫刻家とも言えます。
〜 高崎市・山名八幡宮 二人でお茶を 〜