小さな祠の下から湧く水は、
全国の名水、100のうち、
一番最初に、選ばれた宗祇水。
鎌倉時代から、戦国時代末期まで、
郡上を統治していた、
領主東氏は和歌に優れていたといいます。
1400年代後半に、古今和歌集の手ほどきを受けに、
訪れたのが、
旅の詩人・宗祇(そうぎ)で、
和歌集の伝授を受けて、京に戻る
1471年まで、
毎日、水の縁で湧く水を飲み、過ごしたといい、
傍には草庵があり、
和歌や俳句に疎い私でも、
甃に立ち、側を流れる小駄良側の瀬音を聞いていると、
なんとなく郡上八幡の歴史の深さを、
感じ取ることができました。
全国の名水、100のうち、
一番最初に、選ばれた宗祇水。
鎌倉時代から、戦国時代末期まで、
郡上を統治していた、
領主東氏は和歌に優れていたといいます。
1400年代後半に、古今和歌集の手ほどきを受けに、
訪れたのが、
旅の詩人・宗祇(そうぎ)で、
和歌集の伝授を受けて、京に戻る
1471年まで、
毎日、水の縁で湧く水を飲み、過ごしたといい、
傍には草庵があり、
和歌や俳句に疎い私でも、
甃に立ち、側を流れる小駄良側の瀬音を聞いていると、
なんとなく郡上八幡の歴史の深さを、
感じ取ることができました。
祠の傍に、奉納の連句が、18句ばかり、
👇なんともほっこりとする句でした。