8月7日、ブログ記事探しに出かけた、
群馬県榛名山。
山麓のゆうすげの里を・・・
群馬県榛名山。
山麓のゆうすげの里を・・・
日暮れから咲いて、見てもらず、
人が来たら、さっさとしおれる。
人が来たら、さっさとしおれる。
日暮れて
懐中電灯で撮ったこともありましたが、
懐中電灯で撮ったこともありましたが、
今年は、訪れるのが遅かった。
菅原道真公を祀っていて、
近在からたくさんの方が、見ていく。
看板に彫り物師、小林源太郎1861年作と・・。
近在からたくさんの方が、見ていく。
看板に彫り物師、小林源太郎1861年作と・・。
1799年に生まれた彼は、
榛名山の門・双竜門を1855年に彫り上げたばかり。
榛名山の門・双竜門を1855年に彫り上げたばかり。
父親は、花輪彫刻集団の、石原吟八郎さんの、
2代目吟八明義の弟子、小林源八さん。
長谷川家の養子になって、
存分に腕をあげたものの、
普段は呑兵衛でぐうたら、
けど、一旦火が付いたら、
長谷川家の養子になって、
存分に腕をあげたものの、
普段は呑兵衛でぐうたら、
けど、一旦火が付いたら、
傍に置いた徳利さえ振り向かない程、
血道を上げたという伝説。
血道を上げたという伝説。
北野神社の覆屋の中の本殿には、
昔の武士同士の戦いなら、
お主、やるのう~
昔の武士同士の戦いなら、
お主、やるのう~
七福神をモチーフに、
緻密で滑らかな彫り物が胴羽目いっぱい。
緻密で滑らかな彫り物が胴羽目いっぱい。
で、これが小林源太郎さんの、
彫り物だろうか、と、くすぶってた。
彫り物だろうか、と、くすぶってた。
在った、気が晴れた、動かない証。
👇赤丸に 東都 後藤恒徳〇
胴羽目を彫ったのは、後藤恒徳さん、
彫物のどこかに、自分の名を入れる癖が、
嬉しい。
千葉の御三家、後藤家の流れ。
嬉しい。
千葉の御三家、後藤家の流れ。
小林源太郎さんどこへ行った?・・・
多分これ👇
蓑輪町柏木沢の赤城若御子神社に、
小林さんの八代後の孫さんが、
同じ彫り物をしてた。
小林さんの八代後の孫さんが、
同じ彫り物をしてた。
私には、榛名山・榛名山麓は
宝物が、いぃ~ぱい なのであります
宝物が、いぃ~ぱい なのであります
次回は
小林源太郎さんの
八代後の孫さんが彫った
赤城若御子神社で