昨日、群馬からの帰り、
冷たく心地よい車内で、ちょっと煙草、と、
開けた1センチばかり隙間から38度の熱波が、
一瞬の張り手一発、
車内の冷気、土俵中央でばったり。
冷たく心地よい車内で、ちょっと煙草、と、
開けた1センチばかり隙間から38度の熱波が、
一瞬の張り手一発、
車内の冷気、土俵中央でばったり。
熱波地帯だった出張先。
榛名湖はまゆみの群生地、
湖畔を巡ればあちらこちらに、
圧巻は、榛名山の噴火した岩石が堆積している
オンマ谷のまゆみの里。
ここを教えてくれたのは、
山の師匠。
探せない私に、幾度も手間をかけてしまった。
湖畔を巡ればあちらこちらに、
圧巻は、榛名山の噴火した岩石が堆積している
オンマ谷のまゆみの里。
ここを教えてくれたのは、
山の師匠。
探せない私に、幾度も手間をかけてしまった。
秋になってピンクの果実が開けば、
たかが花、私には、されど、されどの花、
落ち着かなくなります。
たかが花、私には、されど、されどの花、
落ち着かなくなります。
1731年に生まれた、
群馬の彫り物師、関口文治郎さんの、
特技は護身術で、免許皆伝を持ってた。
彼には2人の子供がいて、
父親の手伝いをした記録はあっても、
親方として、社寺彫刻をしたという記録がなく、
関口家では、文治郎だけがクローズアップされ、
以後、彫り物師の系図は彼一代で、ぷつり。
群馬の彫り物師、関口文治郎さんの、
特技は護身術で、免許皆伝を持ってた。
彼には2人の子供がいて、
父親の手伝いをした記録はあっても、
親方として、社寺彫刻をしたという記録がなく、
関口家では、文治郎だけがクローズアップされ、
以後、彫り物師の系図は彼一代で、ぷつり。
👇高崎市、蓑輪町柏木沢、
赤城若御子神社
赤城若御子神社
👇大正10年に造られた拝殿は、
茅葺で落成を記念して、赤城若御子神社と改名し
茅葺で落成を記念して、赤城若御子神社と改名し
それまでは、覚満大明神と言われてた。
👇この鳥居の扁額がなければ、
ここで、関口文治郎がここに来ていたと、
気づかなかった。
気づかなかった。
本殿の小さな彫り物👇
1781年、文治郎50歳の時。
向拝の彫り物が、裏側にあって、
熊谷源太郎さん👇の名は、
熊谷市に住んだ、小林源太郎さんのこと。
のちに、長谷川家の養子になって、
長谷川源太郎さん。その、
👇八代お孫さんが、九代となって新井松雲さん、
大正10年、ここの社殿を飾ってた。
熊谷市に住んだ、小林源太郎さんのこと。
のちに、長谷川家の養子になって、
長谷川源太郎さん。その、
👇八代お孫さんが、九代となって新井松雲さん、
大正10年、ここの社殿を飾ってた。
この刻銘がなければ、
関口文治郎さんが、彫ったものと
関口文治郎さんが、彫ったものと
見てしまいますね。
👇波に鳥の、透かし彫りが、
前掲の北野神社の木鼻の飾りの、
先代・小林源太郎さんの作を、
オマージュしたモチーフと、
組み合わせでした。
先代・小林源太郎さんの作を、
オマージュしたモチーフと、
組み合わせでした。
暑さに耐える狛犬👇
今日、明日は、
二日後の再度群馬出張に
二日後の再度群馬出張に
備えて、ただひたすら、ドテッ ‼
♬ 花は、榛名湖ゆうすげの里で