春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

鑿に賭けた男たち ⑤ 石原常八主信。群馬県邑楽郡。

2023-04-14 11:36:02 | 鑿に賭けた男たち

頭痛に、歳を思うとやばい、と思うのですが、
片肺で生きてる私には、
白内障の施術後の、調子の悪さを抱える私には、
美人の顔もぼやけて・・・
花粉症より黄砂が始末の悪い現象のようで、
行楽を楽しみにしてた、今日の休み、
出掛け予定のメモは円を描いて、ゴミ箱に・・。


群馬県わたらせ渓谷に江戸中期、
日光東照宮お参りに整備された、
銅(あかがね)街道の花輪宿。

東照宮の彫刻を手入れする彫師が、
11人の弟子を持ち、やがて大集団となって、
それぞれが独立して、
北関東の社寺に腕を競って、全国に類を見ない数の、
彫り物を残した。



八王子市の高尾山に残こした、
石原常八雅詖の子、
1786年生まれで、1863年5月2日に亡くなった、
石原常八主信。

宮大工の棟梁に見込まれ、彫物棟梁に名指しされて、
1819年、33歳で栃木県の野木市の、
梟の里、野木神社を手掛けたながら同年
歩けば、2時間ちょい、
群馬県板倉町の、👇 雷電神社の拝殿を・・。
後1835年、49歳では本殿を・・。
彫刻の詳細には、も、少し考察が・・




























1861年、16歳で皇女和宮が下向した際に、
中山道の板鼻宿陣屋から出向いた、長傳寺の欄間は
1849年、63歳で施した、
石原常八主信の傑作のひとつ。

よぼよぼになっても、かくしゃくとした精神は
1860年、亡くなる3年前
高崎市榛東村で、子の石原常八主利と
その子、養子に出した石原改乃助知信と共に
 宿稲荷神社で江戸後期の代表作を彫ります

花形スター・石原親子3代
借金地獄でひーひー言いながら
厳しい鑿裁きの修行に耐える姿
湧くのは、親しみ




コメント (4)
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