
坂東札所巡りも、ラス前になりました。
音羽山 清水寺。
木こりが一夜の宿を探していた最澄を、
泊めたのは、山中の神社で、
夜が明けて、最澄は木こりは熊野権現だった、と、
涙し、熊野権現に導かれたと、
山の中を探索すると、
今日の音羽の景色に似てた・・として庵を結び、
弟子の慈覚大師が、師の志を継いで
楠で、千手観音菩薩像を刻み、
坂上田村麻呂が堂宇を建立したといいます。
音羽山 清水寺。
木こりが一夜の宿を探していた最澄を、
泊めたのは、山中の神社で、
夜が明けて、最澄は木こりは熊野権現だった、と、
涙し、熊野権現に導かれたと、
山の中を探索すると、
今日の音羽の景色に似てた・・として庵を結び、
弟子の慈覚大師が、師の志を継いで
楠で、千手観音菩薩像を刻み、
坂上田村麻呂が堂宇を建立したといいます。

千葉の街道を走っていると、
こんもりした竹林をたくさん見ました。
ここ、清水寺の駐車場にも竹。
こんもりした竹林をたくさん見ました。
ここ、清水寺の駐車場にも竹。

車は、平成になって建てた仁王門の前まで、
乗り入れられますと知ったのは、
ゼイゼイ坂道を登り切ってからでした。
乗り入れられますと知ったのは、
ゼイゼイ坂道を登り切ってからでした。




👇なんとも、阿吽像が近代的に彫られて・・。


門をくぐり社務所を左にして、進むと
ベンガラ古代色は1822年の四天門、
扁額に「音羽山」
ベンガラ古代色は1822年の四天門、
扁額に「音羽山」


四天門には👇風神と雷神


👇多聞天と多聞天が、
化粧を剥がしながらの出迎えでした。
化粧を剥がしながらの出迎えでした。




👇本堂までに、見たい堂があるので、
清水寺が完結しません、
辛抱くださいますよう・・・!
清水寺が完結しません、
辛抱くださいますよう・・・!

阿吽像、確かに今風。
ちょっと笑っちゃいいますね、フフフ
いつの時代に掘られたものでしょうか?
色鮮やかな部分もありますね。
胴体のしなりといい、顔の表現といい、
じっと、見入ってました。
平成5年に建立した仁王門なので、
同時期ではないかと思います。
確かにすごい坂を上った記憶があります。
多聞天に迎えられて、一息ですね。
今、思うとモットしっかり勉強しておけばよかった。
でも、とよ様の説明と写真で勉強になりました。
体力・気力が必要な霊場巡り、お参りしたあとの
すがすがしさが待っていますね。
そうでした、結構長い坂道で、途中で休んだ記憶があります。
人は勉強より、折に触れての感性が大切、そう思います。
いかがでしょうか。
時が経って、ふと思い出されたものは、感性に触れた時、
そんな日は奇妙な安らぎの気分になります。
自分のために生きてる、
旦那とともに生きてる、
子供のために生きてる・・・・
地球に住む人々はその集まり・・・
恥じることなく、
自分たちの軌跡は、胸を張れる今と・・!
サッチーさんの感性は、豊か・・そう思ってます。