春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

筑井孝子さん群馬を描く。 群馬県渋川市。

2021-03-20 21:51:41 | 魅せられた!


「記憶袋」の中にのほほんと、のさばっている、
曖昧なままの記憶が、大きな袋の中に・・

大正、昭和にパリで過ごし、パリで亡くなった、
佐伯祐三さんのパリの街を描いた絵、

高校生時代下宿先の居間に、
複製画が飾ってあって、

ただ、私は絵のことはほとんど無知・・むち。
何がいい絵なのか、サッパリ判らない。

佐伯祐三さん、パリで交友のあったブラマンクから、
「君の絵は、アカデミックを描いている」と、
酷評され悩んだという。

絵は見て楽しければいい、がせいぜい私の鑑賞の仕方。
私は絵に、アカデミックな表現している意味が、
これまたわからず、解決しないまま、
「記憶袋」でくすぶっていて・・・。


一気に解けた。
解かしてくださったのが
筑井孝子さん。
群馬では筑井先生とよばれ、
大人に、子供にも絵の教室を持ち、
数冊の画集を出版し、知れば知るほど、
絵の軌跡を追いかけるのは、むつかしい。
けど・・追いかけたくなる・・
追いかけたくなる、
天衣無縫の表現。

絵・・・疲れた時に、す~っと心の襞に・・

筑井孝子
昨年10月訪れた龍源寺で
声をかけてくださった
👇動画の聞こえにくい言葉は
「わからないことばかりです」
とたん
ファインダーから眼が外れ
筑井さんを追い始めた
記憶がありありと浮かんできます























👆👇障子を障子をキャンバスに張り替え、
3時間ばかりで群馬百景・・






















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山伏と、火渡り②--② 東京八王子市 高尾山

2021-03-17 21:35:23 | Extra


断食・滝打ち・火渡り・座禅・懺悔・忍苦の業など、
山の持つ超自然力を吸収
雨ごいや虫送りと呼ばれる呪術的な能力を生かして、
多くの庶民を救ったのも山伏。
法螺貝を吹けなければ、
山の神はその山伏を入山させないと、
心得に、人里離れて修練をする。







👇高尾山山主の、悠然とした火渡り。















👇写っている人たちは、皆さん火渡りを申し込んで、
順番を待ってます。











外人さんもいっぱいです。




約1000人の火渡り、4時間半の儀式。
来年も3月の第2日曜日、
火渡りきっと、
見るものではなく、心新たな思いに、
渡るものだったかも・・・。












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高尾山 火渡り ①

2021-03-15 21:22:37 | Extra


昨日、日曜日高尾山の火渡り祭りで、
リフレッシュ、出かけました。
式次第を最初から見るつもりでいたので、
早く着いて、ぶらぶら。
そのうち
どこからこんな人たちが現れたのかと思う、
想像外の人出。
後で判ったのは、ほとんどの方が火渡りをする人達。
八王子に住んで約20年、
初めて見る高尾山の火渡り。
その火によって世の中の穢(けがれ)や罪を焼き尽くす、
ウム!・・申し込めばよかったかな、と。
載せたい写真は今日だけでは・・無理なので・・。
次回もです・・。























👇桧葉につける前の儀式。
火打石を打ち、四方を回ってます。

















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宙に足が浮いた、金鑚神社 ②--② 埼玉県本庄市。

2021-03-12 20:07:36 | 関口文治郎/神社仏閣


👇高尾山のムカゴネコノメソウ
撮ってから2週間が過ぎて、
今頃、ハナネコノメは、

蛇滝あたり咲いてるでしょうか。






先週、5,6日群馬で一仕事、
日曜日は、てっきり疲れて、

少し不貞寝かと思ったものの、
シャカリキ、何を思ったか、埼玉県本庄市に。

群馬県花輪で、
彫刻集団の礎を築いた彫物師の、
石原銀八郎。
神社も火事にあったり、災害で流されたり、
残っている神社で、彼の鑿裁きを見れた後は、
初恋人の消息が判ったのと同じくらい、
地の足、宙に浮きっぱなし。
1724年完成、本殿その作品が👇




それから28年後、
熊谷市、国宝聖天院歓喜院の彫刻に携わって、
弟子、関口文次郎に彫らせた「猿」
病に罹りながらたぶん、鑿を持つことなく、
20才、文次郎に生涯の技を教えたとしか思えない彫刻。
似てる。

それが文次郎の作 👇


石原銀八郎は、利根川のたびたびの氾濫で、
遅れた歓喜院の落成を、
この地で、祝えず、静かに生まれ故郷花輪で・・。

👇石原銀八郎の作ですと、
教えてくださった、神主さん、
なのに・・・名前を聞きそびれてしまった。
















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鳥肌に意識が消えた、金鑚(かなさな)神社 ① 。埼玉県本庄市。

2021-03-09 20:28:07 | 関口文治郎/神社仏閣


上州姫街道、なんと麗しい名の街道。
生糸や麻、楮、煙草、漆を運ぶ道として、
女性の脚絆を軽やかにした道。
江戸から22里、中山道69次、
一番の賑わいを見せた本庄宿。

中山道と上州姫街道の分岐する交差点近くに、
石原銀(吟)八郎の名が刻まれた神社が、
本庄市の鎮守となって、地元の人たちの拠り所に。


👇 右のクスノキが、御神木に、
左のカヤが共に20mばかり、
境内にひと際の存在感で。


















金鑚(かなさな)神社、拝殿。








日光東照宮などの改修を手掛ける、
かつては真田家家臣、群馬県花輪に住む高松又八。
一番弟子に石原銀八郎がいて、共に公儀彫物師。
その弟子に、仏像彫りの天才、関口文次郎がいて、
国宝、熊谷市の聖天堂歓喜院を完成まじかにして、
文次郎に技を託して、病で亡くなってしまった。
その石原銀八郎の出世作と言われた羽目板の彫り物が、
ここ、金鑚神社で見るとは、思いもしませんでした。

華美を抑えた、シンプルなフォルムは、
意図して訪れたわけではない、神主さんとの、
会話で知った、石原銀八郎の作品、1724年。
鳥肌立つ思いでした。
長くなりました・・ここまでが、
今日耐えられる、思考回路です。
次回も金鑚神社、見ていただけますよう!





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