
春爛漫昨日、半袖姿の箱根から
今日は、不覚、
2度寝の深い眠りは、どこまでも深く・・
日ごと増える乾燥肌の皺は、
鏡に前に立つ動きを拒んでます。
鏡に前に立つ動きを拒んでます。
寝た~・・・。

1層は秩父三十四観音、
2層は坂東三十三観音、
3層は西国三十三観音の右回り、
螺旋で2階建ての堂宇を3層にして、
100観音を参拝するので、栄螺堂といい、
螺旋で2階建ての堂宇を3層にして、
100観音を参拝するので、栄螺堂といい、
関東から東北にある8堂宇の、
本庄市
本庄市
成身院百体観音堂。
1783年、浅間山の噴火で我妻川から利根川への、
火砕流、流された30数村、人馬を埋め、
河原ではうめき声に、おびえる人たち、
焼死、溺死の人たちを弔うものもおらず、
成身院住職が、河原で七日七晩、法華経を唱え、
江戸の辻々で、金子を集め仕上げたのが、
百体観音堂、
重なる火災で、写真👇の観音堂は、
明治四十四年再建した堂宇だと・・。
火砕流、流された30数村、人馬を埋め、
河原ではうめき声に、おびえる人たち、
焼死、溺死の人たちを弔うものもおらず、
成身院住職が、河原で七日七晩、法華経を唱え、
江戸の辻々で、金子を集め仕上げたのが、
百体観音堂、
重なる火災で、写真👇の観音堂は、
明治四十四年再建した堂宇だと・・。

訪れたのは3月7日、こぶしの花が少し、
フキノトウがひとつ。
訪れる方も少なく・・・。
フキノトウがひとつ。
訪れる方も少なく・・・。



彫刻は、大里郡玉井村(現・熊谷市)の小林榮吉さん。
彼の資料はほとんどなく、
資料の発見に期待しております。





👇明治20年の火災で、66体の観音像と、
残った鰐口。
江戸鍛冶町で11代続いた鋳物師、
西村和泉守に、1779年、
村の百姓の共同体惣村が依頼した、
重さ750キロ、直径180センチ。
残った鰐口。
江戸鍛冶町で11代続いた鋳物師、
西村和泉守に、1779年、
村の百姓の共同体惣村が依頼した、
重さ750キロ、直径180センチ。
叩いたら、腹の底に、ゴンと響いた。



栄螺堂、内部のファイルは明日まで休眠します。


箱根での花 2,021.3.29