春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

太田美術館・図書館 ① 群馬。

2021-08-17 20:42:22 | 散歩

👆 3階までの回廊

江戸時代後期、寺社建築に流行った、
回廊で、秩父、坂東・西国の、
観音様を拝観する、
その様式は、海のさざえの貝殻に似てと、
太田市には江戸時代の、

栄螺堂・曹源寺があって。

現代の、さざえ回廊は観音様に代わり、
書籍で、絵画で、彫刻で・・
どちらも感性を豊かに、人を育てる建物ならば、
一度は訪れて、見ようか!・・・と。
ただウイークポイント・・・読書・・・にがて!

図書に、美術に疎くても、

一階ラウンジで、待ち合わせは好都合、
群馬県太田市駅の真ん前。
ミストは、心地よかったけど、

雨が降り始めた、
8月12日の日暮れ。
























設計・平田晃久氏
ここのデザインは

太田市民と、専門家が話し合って、
完成させた建物で

既成概念にとらわれない美があって・・。









館内撮影は、申請が必要です。
2時間限定、書籍の接写・人物のアップは禁止を、

守って・・














一度では、
このモダンな建物を、
案内できません・・・
ので、また!

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安楽寺。埼玉・吉見町。

2021-08-15 21:01:02 | 坂東札所

出張から12日、帰って迎え火、
魂も大雨にコロナに、来るなとも言えないならわし。
幼いころ境内を踏み荒らした遊び場の寺までの、
日暮れの盂蘭盆の揺れる提灯、
声かけあう町の人たちの風情が、
今は無性に懐かしい。

坂東札所11番。岩殿山・安楽寺。
👇仁王門の前の石段に、
坂東11番、蒲冠者源範頼旧蹟の石碑、




👇1790年の露座の阿弥陀如来像が、



広い境内で巡礼者を慰めてくれる。



👇開基した、坂上田村麻呂によって806年に建てられ、
吉見領の鎮守になった吉見観音堂。





向拝の右には、👇
源頼朝の異母弟、合戦好き、
御家人との喧嘩もしょっちゅうの、
源範頼は吉見領主になった報恩に、
所領の半分を寄進し、
48mの見上げるを造り、
45m真角の大講堂を建立するも、
1500年代初め、松山城の戦いで、
すべてを焼失してしまった。
写真の24mの塔は今から、
380年ばかり前、朱塗りの塔に再建しての存在感は、
十分に楽しませてくれる。



👇観音堂内陣に、思いがけない彫刻、
前掲、東松山市の正法寺で探した、




👇左甚五郎の欄間。
「野あらしの虎」
おっちょこちょい!
正法寺と、ここ安楽寺を間違えて2年ばかり、
記憶袋で、彷徨ってた。
吉見観音堂1661年の再建・・、
日光東照宮の「眠り猫」から30年ばかり・・

・・・左甚五郎作かと・・・う~ん!






👇納経所へ。








源範頼の奥さんのおばあちゃんは、
頼朝の乳母・比企尼で・・。
頼朝の猜疑心から、
修善寺に幽閉され範頼、子らは
比企尼の助命嘆願で、
成長し後々、
吉見氏としてこの地に住み・・・・。

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正法寺・東松山市。

2021-08-13 23:42:52 | 坂東札所


埼玉県東松山市、
比企丘陵の物見山の中腹に、


源頼朝の幼少・乳母になったのが比企尼。
伊豆に流罪となった頼朝に、
物資、衣類や米を1180年までの、
20年に渡って仕送りしたのは、この地から。
比企尼はよくこの寺にお参りしたといいます。

比企氏は東松山、比企郡で権威を誇り、
源氏とは鎌倉時代をともにした御家人・・らしい。



江戸後期の建造と推測される、
観音堂には、
千手観音さまが祀られてて・・。



👇削られた石灰岩の下方には、
百観音(西国、坂東、秩父札所)、
四国八十八ヶ所の写本尊が、



👇茅葺屋根の鐘楼は1702年、



👇組み物、中備、天井の装飾はシンプルの中に、
雄健な吹放ちに、1322年が刻まれた銅鐘が、
1590年豊臣秀吉の関東征伐の時、
軍政の指揮を鼓舞いするのに、
引きずりまわし、打ち続けた時の傷のまま、
門前を見渡す高台に・・・。






👇看板では運慶とありましたが、
運慶作は、戦火で焼け江戸1800年ごろの、
仁王像とのことで・・。

 




👇樹齢700年余の銀杏、
この根に絡まれたら・・ウ~ン!





👇薬師如来と守護12神将が特別開帳で。






👇弘法大師が彫ったという百地蔵尊が中に。








👇納経所は、100畳の広間に、
2023年は空海誕生1250年
丑年疫病退散、祈願巡礼のポスター。








👇1200年、頼朝の没後2年、
頼朝の志を継ぎ、妻政子が堂宇を再建し、f薬
北条雅子を守り本尊とした、

線状降水帯の被害、大きくならないよう願って!
坂東札所10番・巌殿山正法寺・・でした。

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女子衆に福徳の翮を と・慈光寺。埼玉。 

2021-08-11 21:31:50 | 坂東札所

埼玉県比企郡ときがわ、
人口1万人ばかり、300メートルの都幾山に登れば、
👇750年の風雪に耐えた、板碑が9基。
1262年の刻んだ文字に、
確実な歴史に触れ、
江戸の頃にはこのあたりに仁王門があり、
女人禁制の結界があり、
女性は、結界を避けて、観音堂にお参りしたという。





狭い石段を登れば、



雨上がり、さらに鬱蒼とした観音堂が・・
役ノ行者の修験の道場のいわれ、
山岳寺院が、真実味を帯びてくる風情。
「4月、秩父山峰を苦行し、
6月富士山に登り、7カ日日夜苦行をし、慈光に帰る」

                         慈光寺実録。
天台修験の高い格式を誇る・・・と。



















1189年、源頼朝は、
奥州・藤原討伐のために、
愛染明王像を、寺領1200町歩を、
住職に贈り、日々祈願せよの実録も見逃せない。


👇 如意輪観音
台座に、一七九六年とあり、
都幾川から産出した石で地名から名付けた、
「小戸々石」に彫刻したもの、
宝珠と蓮華の代わりに、赤子を抱いた悲母観音。
女人信仰が盛んになった江戸中ごろ、
月の22日の夜、
この観音の前に女衆が供物や、食べ物を持ち寄り、
喜びや悲しみを語り尽くす・・
娯楽のなかった時代の、唯一女性の楽しみで・・・。


👇慈光寺は、文化財の宝庫でもあって、


👇国宝・慈光寺経・・・
「法華経 授気品 第六」など、









👇1245年の梵鐘。
物部重光、物部鋳造集団の重鎮、
彼らの鋳造は国宝級だらけ・・。







👇多羅葉樹・今でもはがきに使える、
葉に文字を書けば黒く浮き、
戦国時代は敵にばれないように、よく使用したという。
1000年の樹齢だとか・・・
慈光寺本堂には無数の逸品があり、
本堂に入って、出るまで90分、
その時間も考慮してと・・老婆心。



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咲き分けの散り椿・星谷寺。座間市。

2021-08-09 21:04:06 | 坂東札所

神奈川県座間市、古墳時代の遺跡が、
多く見られ、文化の開けた地。
清泉豊かにして、星影が池の水中に映じて、
暗夜も白昼のようだ・・古代人は、
この地を星谷と呼んだ。
池水の神秘に寄せる素朴な伝承。

👇咲き分けの散り椿、
なんと美しい言葉。
花弁丸ごと散らない椿の花弁、一枚一枚散り、
赤に白、桃色の花が咲く咲き分け・・・


訪ねた時期は、遅かったか、早かったのか・・・。
見たことのない椿に、胸が早鐘になる。

坂東札所8番、妙法山・星谷寺 しょうこくじ







👇勧進鋳造された梵鐘、
相州星谷寺、大檀那源朝臣信綱、大工源吉国とあって、
・・・源朝臣信綱・・主君、源実朝の姓
東日本で二番目に古い梵鐘・・・、
撞木で鐘を着く、撞座が一カ所しかないのは、
鎌倉時代の特徴と言われ、

保存されてた、この寺の繁栄が偲ばれる。






丹沢山系、大山講巡りは江戸から18里、
江戸人は、観音様の加護で、旅ができると、
思って出かけた人の数は、20万人。
戦前の農村が、戦中は軍事施設のまちに、
戦後は米軍キャンプ地にされて、
星谷寺は、座間市の代表する寺といえ、
ひっそりと、歴史を刻んだまま・・。
































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