
出張から12日、帰って迎え火、
魂も大雨にコロナに、来るなとも言えないならわし。
幼いころ境内を踏み荒らした遊び場の寺までの、
日暮れの盂蘭盆の揺れる提灯、
声かけあう町の人たちの風情が、
今は無性に懐かしい。
坂東札所11番。岩殿山・安楽寺。
👇仁王門の前の石段に、
坂東11番、蒲冠者源範頼旧蹟の石碑、
坂東11番、蒲冠者源範頼旧蹟の石碑、

👇1790年の露座の阿弥陀如来像が、

広い境内で巡礼者を慰めてくれる。

👇開基した、坂上田村麻呂によって806年に建てられ、
吉見領の鎮守になった吉見観音堂。
吉見領の鎮守になった吉見観音堂。


向拝の右には、👇
源頼朝の異母弟、合戦好き、
御家人との喧嘩もしょっちゅうの、
源範頼は吉見領主になった報恩に、
所領の半分を寄進し、
48mの見上げるを造り、
45m真角の大講堂を建立するも、
1500年代初め、松山城の戦いで、
すべてを焼失してしまった。
写真の24mの塔は今から、
380年ばかり前、朱塗りの塔に再建しての存在感は、
十分に楽しませてくれる。
御家人との喧嘩もしょっちゅうの、
源範頼は吉見領主になった報恩に、
所領の半分を寄進し、
48mの見上げるを造り、
45m真角の大講堂を建立するも、
1500年代初め、松山城の戦いで、
すべてを焼失してしまった。
写真の24mの塔は今から、
380年ばかり前、朱塗りの塔に再建しての存在感は、
十分に楽しませてくれる。

👇観音堂内陣に、思いがけない彫刻、
前掲、東松山市の正法寺で探した、
前掲、東松山市の正法寺で探した、


👇左甚五郎の欄間。
「野あらしの虎」
「野あらしの虎」
おっちょこちょい!
正法寺と、ここ安楽寺を間違えて2年ばかり、
記憶袋で、彷徨ってた。
正法寺と、ここ安楽寺を間違えて2年ばかり、
記憶袋で、彷徨ってた。
吉見観音堂1661年の再建・・、
日光東照宮の「眠り猫」から30年ばかり・・
・・・左甚五郎作かと・・・う~ん!
日光東照宮の「眠り猫」から30年ばかり・・
・・・左甚五郎作かと・・・う~ん!



👇納経所へ。



源範頼の奥さんのおばあちゃんは、
頼朝の乳母・比企尼で・・。
頼朝の猜疑心から、
修善寺に幽閉され範頼、子らは比企尼の助命嘆願で、
成長し後々、吉見氏としてこの地に住み・・・・。
頼朝の猜疑心から、
修善寺に幽閉され範頼、子らは比企尼の助命嘆願で、
成長し後々、吉見氏としてこの地に住み・・・・。
