春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

健やかにと、平塚八幡宮。

2022-04-17 19:20:06 | 散歩


4月9日、夏のような陽気に誘われて訪れた、
平塚八幡宮。
平塚市、湘南地区の中心で、
終戦前はこのあたり軍需工場があって、
40万発以上の、

焼夷弾が投下されたのは、八王子市に次いで、
2番目だったといいます。



380年の地震で、苦しむ人々を見かねた、
仁徳天皇が建てたという八幡宮。
戦国時代は戦火で多くの宝が灰燼となり、
関東大震災では倒壊し、昭和3年に落成し、
建築としては100年ばかりの歴史。

歴代の天皇や源頼朝さんや武士たちからも、
崇敬されてたといいますが、
当時の社殿はどんな姿だったでしょうね。


👇初宮詣りの家族が多かった境内です。






👇本殿はどんなか、うら詣りです。







👇ちょっと判りにくいのですが、
冬青・別の名を正五位 
しょうごい
神前に供える玉串やお祓いする大麻は、
広葉樹の榊を用いるのですが、
寒い地方では榊が育たなく、
この冬青の木を用います。
温暖な平塚市で、枯れずに育ってくれればです。





👇亀を撮ってるとき、



👇池の上から声が掛かって、
境内、行くとこ行くとこ出会う女性、
拝んでいるところを、撮ってくださいと言われ、
何枚か撮った私の記憶袋にも、すっと入った一枚。


👇クールに去った後ろ姿、
私見えなくなるまで見てました。










おてんばな神馬、皐月の
眠気を我慢してる姿に
魂を抜かれた
平塚八幡宮でした
次回に・・・・?

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頼朝の先祖、義家が植えた銀杏、茅ヶ崎市鶴嶺神社。

2022-04-15 20:11:03 | 散歩

明日は晴れるかな?
出かけに降り始めた雨
濡れて心地よい陽気でもなく
折角降った雨、道連れにして
今日は運転免許の更新
タツタ20分ほどで済んでしまい拍子抜け
これが最後かな、あと1回かな


相模湾から3キロばかり所、
江戸の頃は、坊さんの寮が12もあったという、
茅ヶ崎市  鶴嶺神社。
かってはいろいろな花が咲いて、
観光地にもなってたと言います

もっと遡れば、
今の相模川を、馬で人を渡して馬入川と呼ばれたころ、
源頼朝さんが、橋を造った落成式で、
暴れた馬から落馬して、
翌日亡くなった逸話がある、
馬入橋から歩いて10分ほど。




👇右の30メートルほどの銀杏は、



👇源頼義さんが東征の時、
京都石清水八幡宮に習って、
ここに一社を創設したといい、
息子3男坊の、八幡太郎義家さんが、
奥州で戦をしていた、父を応援に行く途中、
立ち寄り、この銀杏を植えたという、
・・1000年くらいの樹齢?

頼義さん、頼朝さんの先祖になるわけですよね・・。
ここでも頼朝さんの影が・・。







👇社の後ろには、みちびきの木があって、
私があなたを癒し、良い方向へ導くから、
悩みや不安をそっと囁いて
とあるので、俳優の阿部寛のようになりたいと囁いた。
2歩、歩いた背中に、

すかさず、大きい声、
・・・無理・・‼



👇和歌山市に鎮座する、御婦人の為の神社。


👇ひよこに安産を願い、病気が良くなるようにと、
願掛け、私も一つ願い、書いて置きパンパン  ‼





👇源頼義さんの雄姿を彫ったものと思います。










1560年ごろ戦の兵火で焼けてなければ
きっと、古文書も残ってたでしょうが・・

江戸の頃、鎌倉を訪れた人たちも、
相模の海を眺めながら、きっと、
立ち寄ったでしょうね、
江戸の浮世絵師、
相模湾を描いた北斎の名を、
付けた桜…北斎桜👇で、今日はチョン  です ‼


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木村植物園、平塚市。

2022-04-13 21:23:33 | 散歩

白い花水木街道の、車窓の隙間の風が、
心地よかった、せんべいの町、草加市
暗くなるまでの資格講習に、着いたホテルで、
アンパンを頬張ったとたん、ほどけた緊張
復習にと開いた
分厚いテキストが揺らんで見えた
明日は試験、
今日は花たちを見て
睡眠安定剤とします

平塚市に木村植物園があって
4月5日
小田原に出かけた時に寄りました



































草加市駅近くの宿から
今夜の夜景
八王子に戻ったら、
ゆっくり、ブログにも帰ります
それまで、不調法を・・です


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北斎桜・?・・‼。鶴嶺八幡宮。茅ヶ崎市

2022-04-09 20:37:07 | 散歩

明日から、群馬、埼玉で資格講習が始まのに、
受からなくてもいい、なんてうそぶいて、
出かけた神奈川茅ヶ崎市の鶴嶺神社、
ここに、北斎桜が・・・。


うねるような花弁は
15枚から20枚ほど
👇萼筒は鐘型で、萼片は卵型三角形


よく目にする八重桜の、ぼってりした感は無く
ソメイヨシノのように、シンブルな花弁でもなく
昔に在った桜 ?と
花に疎い私は、ただ歓心するばかり


20世紀初め、イギリス人、
コーリング・イングラムさんが
日本から様々な桜を輸入して
イギリス・ケント州の自宅に庭園を造り
その中に学術名の無い、桜があって
尊敬する葛飾北斎の名を付けたといい・・



この花は日本花の会を経て、
令和元年12月
キュー王位植物園のものを、
ここの鶴嶺八幡宮に
造園会社が寄贈し里帰りをした・・と









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小田原、佐奈田与一を偲んで頼朝、佐奈田霊社。

2022-04-07 22:56:04 | 散歩

テレビを見ても、今は怒りに満ちた孤独とばかり
出かけに、米を研いで出来上がった窯に
水気の多い白飯。メモリを見違えてしまった
ままよ、むすび5個は朝昼用に
着いた小田原の戦場跡の駐車場でいざ、いざ

唖然・眼が点
むすびが、書物に潰されて
せんべいのよう ‼



頼朝さん、奥州征伐を称えられ、上洛
1190年、六波羅の新居に入京する

伊豆山権現の参拝した後、
石橋山に登る。


細い道、助っ人三浦一族が豪雨で酒匂川を渡れず、
挟み撃ちに合い、

箱根の山に逃げた敗戦の地。

10年前8月、豪雨の中、先陣をきって、
坂道を喘息で息を切らし、
敵将大庭景観の弟と戦い、
血のりを拭かず、鞘に納めた刀が錆びて抜けず
その間に、背中を切られた武将、
佐奈田与一25歳の痛ましい姿、

頼朝、薄い透き通った皮膜がふくらんで・・

👇遠く真鶴から小舟に乗って逃げ延びた、
千葉県鋸南の半島が。








👇姫シャガがたくさん咲いてた。


神主さん、神主さんのぼりの文字、まちがえてる・・
  頼朝を守った 
    佐奈田与一の石橋山  
           小田原市


👇ぜんそく・せき・のどに御利益があり、
喘息に苦しんだという、
佐奈田与一さんを祀ってる。















👇佐奈田与一さんの遺骨がある与一塚。
海風にひとひら、ひとひらの花に、
子を守る狛犬、なぜか時局、切羽詰まる。


















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