春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

イーハトーブのねりさん...part Ⅱ

2024-04-29 06:44:26 | Extra


昨日古河市からの帰り、どんよりした空は黄砂かと・・
今は亡くなった、作家安部公房さんが少年期、

奉天で過ごした空も、
こんなだったろうかと、ふと思った。
赤字は今日、昭和の日、4月29日の追記・・・です。
イーハートーブ👇とは、宮沢賢治さんの心象の理想郷だった・・
2019年7月16日にこんな👇記事を書いていました。

梅雨雲の小窓に、三温糖の香りが、プンと立った。
もっぱらの仕事で、
私のイーハートーブがかすんで見える。
さぼろう、ほんの少しだけ。
週刊天気図に晴れマークが点き始めた。
まもなく野菜に、米に、蝉にも、いい日撚りが来る。
天気図を観ていて、出かけに準備していた、
ゆで卵、殻がカタカタ音をたてて、焦げていた。

さぼろう、ほんの少しだけ。
昭和7年、「児童文学」」に宮沢賢治さんの
「グスコーブドリの伝記」が載った。

作家安部公房さんの子供が昨年亡くなった。
産婦人科医で、北海道に住んでいた。
「ねり」さん。
イーハートーブの森に住む、
木こりの子供の、
グスコーブドリのブドリの妹の名が「ねり」

昭和22年、安部公房さんが、女子美専師範科を出た、
山田眞知さんと結婚して、6年後、
生れた長女の名を、
眞知さんは「ねり」にしたいと譲らなかった。
宮沢賢治さんの「グスコーブドリの伝記」を読んだ、
眞知さんの、こころに響いた名前。

宮沢賢治さんの実生活で、
24歳、病気がもとで、
亡くなった妹の名は「トシさん」
作品には、お洒落な名の「ねり」

宮沢賢治さんの朝、昼、夕、
こころから消えなかった妹さん。

安部公房さんはラジオドラマに、
子供向けの物語をたくさん書いている。
晩年、ポツリと語る。
小説は小学校の子供でも判る、
言葉で書かなければならない、のだよなぁ〜!

まもなく、つめたい雲から陽が射す。
そう思うと、仕事への集中力も、
スイッチがパチン、いい音で入る!

さてと・・・・。

医者にならないことを条件に、東大医学部を卒業した、
彼の複眼思考は、私の同年代の男性には大きな影響を与え、
スタジオ創設には、
仲代達矢、新克利、井川比佐志、田中邦衛、山口果林らが・・・
演劇界にも大きな足跡を残してた。
イーハートーブの『ねり】さんの名を娘に付けた眞知さんも
医師だった『ねり』さんも今はいない・・・



庄内砂丘「砂の女」の取材地を歩く

 

コメント (2)
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