晴れた日は6月、人間の忍者の姿をした龍が、
胡坐をかいて、チチンプイと唱えると、
空に雪雲が湧いて、ここ比企地方物見山に、
有れよあれよと・・・雪が舞い始めた。
胡坐をかいて、チチンプイと唱えると、
空に雪雲が湧いて、ここ比企地方物見山に、
有れよあれよと・・・雪が舞い始めた。
里人をいじめる性質の悪い龍。
と、蝦夷東征に向かう、鬼退治で有名な坂上田村麻呂が、
龍の成敗こそ、我の使命とばかり雪の中、
龍の成敗こそ、我の使命とばかり雪の中、
家来達に龍を探させた。
物見山に住む、龍の住処は99カ所もあって、
里人もどこで寝起きしているのか知らないという。
里人もどこで寝起きしているのか知らないという。
家来たち、灼熱の天候から雪の世界、
薄着の肌に凍えてつい、農家の納戸に有った麦を焚いて、
尻を温め、将軍は観音様に祈って、矢を放ったところ、
林の中にいた龍に刺ささり、比企の里に平穏な日が来た。
悪ガキ龍の伝説は、今でも残っていて、
薄着の肌に凍えてつい、農家の納戸に有った麦を焚いて、
尻を温め、将軍は観音様に祈って、矢を放ったところ、
林の中にいた龍に刺ささり、比企の里に平穏な日が来た。
悪ガキ龍の伝説は、今でも残っていて、
6月朔日には、小麦ピーを焚いて、尻をあぶり無病息災、
灰を撒けば蛇除け、虫よけと農耕の行事として・・・
岩殿丘陵の最東端 物見山、
源頼朝の乳母、比企の代官、掃部允の妻、比企尼 の土地。
北条政子が帰依し、守り本尊だった巌殿観音を祀ってる、
埼玉県東松山市、坂東札所10番・岩殿山・正法寺。
岩殿丘陵の最東端 物見山、
源頼朝の乳母、比企の代官、掃部允の妻、比企尼 の土地。
北条政子が帰依し、守り本尊だった巌殿観音を祀ってる、
埼玉県東松山市、坂東札所10番・岩殿山・正法寺。
戦国時代の後期には岩殿観音の本坊の他、
六十六の僧坊を、大伽藍を構え、
七堂あった伽藍はことごとく瓦葺きであったと・・記録
七堂あった伽藍はことごとく瓦葺きであったと・・記録
👇1322年鋳造の鐘・・
豊臣秀吉による関東征伐の際の、
度重なる戦で引きずられた傷跡👇が・・・
720年代の創建と伝える
寛永、天明、明治と3度
寛永、天明、明治と3度
再建された観音堂境内風景・・は
込み合う道路を避け
悠々自適の、明日に・・・‼