きまぐれブログ

ボケ防止の日記です。(*^^*)

【鬼の城】 ・・南門

2012-08-19 | 鬼の城
鬼の城は東西南北に城門があります。

南門は復元途中のようでした。



南門は規模や構造が西門と類似しているため、

同じ設計のもとで造られたと考えられているそうです。



柱を立てるための穴。

門のしきりや、扉の塾受けなども、一つの石で一体的に加工されています。

一つの石であればそれだけ強固だろうし、ずれにくいだろうし

頭がいいなぁ、と思います。



1300年前からある階段は7段ありました。

身長153cmの私には、JRの階段より上り下りが楽でした。^^


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【鬼の城】・・水門

2012-08-17 | 鬼の城


鬼の城の西門を出て、案内図にある水門へ向かいました。

水門までは、勾配80度近くの高石垣が所々にあり、

また、下は下で崖っぷちの怖いところもあります。



そんな所を350mほど歩くと、第2水門がありました。

第1水門は知らない間に通りすぎたようです。

排水機能をもつ城壁を水門と呼ぶそうなので



これも水門なのかもしれません。

今もきれいな水が流れていました。



6ヵ所に水門があるそうですが、これは第3か、第4水門です。

この、分からないところが、鬼の城 らしくていいです。

山の8~9合目に築かれた城壁は南側が低くなっているので、

全部の水門が南側にあるそうです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【鬼の城】・・西門

2012-08-11 | 鬼の城


復元された西門は3階建で、

1階は、門扉のある石敷き通路、

2階は、城壁の連絡路、

3階は、見張りおよび戦闘の場に想定されています。



現地案内板にある、復元前の西門跡の写真です。

いまだに謎の多い 鬼の城(キノジョウ) ですが、

西門跡は、写真のように良好な状態で残っていたそうです。



西門正面からは、古代吉備の中心地であった平野が広がり、

児島半島や、瀬戸内海、四国山脈までも見えます。



城壁は土塁が多いそうですが、石垣も残っています。

城壁は雨水などの浸食から守るため、城壁の内外に敷石が敷かれています。

この敷石は、日本の古代山城では初めての発見だそうです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代山城 【鬼の城】

2012-08-09 | 鬼の城


「鬼の城」 に行ってきました。

朝早かったからか、瀬戸内海や水島の工場地帯までよく見え、

また、涼しい風が吹いて、まるで別天地です。



城壁、2.2キロ余りを2時間ほどかけて歩きましたが、

下を見ると絶壁で、スリル満点です。

市街地からも近く、頂上近くまで車で行けて、

復元された西門までは車椅子でも行けるようになっていました。



案内書にある 「鬼の城の概要」 の冒頭部分。


7世紀の東アジアは、戦乱の時代でした。

660年、唐・新羅の連合軍に滅ぼされた百済の要請により朝鮮半島に援軍を送った大和政権は白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗しました。

唐・新羅の進攻に備えるため西日本の要所には大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが「日本書紀」に記されています。

一方、記録にはありませんが、朝鮮式山城と同種遺跡の古代山城(神籠石系山城)が16城あり、鬼の城もその一つと考えられています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする