新笠通信 奄美電信版

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うみほたるをつかってますか

2008-07-15 01:19:00 | Diaries
7月は文月
ふみといえばラブレター
恋文をつづるにはもってこいの季節です

このブログを初期にまでさかのぼると、どのような主体との間に緊張の発生の可能性があったかを分析することができます
どのような主体が興奮の念を抱く状態にあったであろうかということです
記事の発行された時期は正確です
本文とともに修正をまったく行なっていないわけです

県議選の時期をはさんだことが主体の特定を難解にしている一要素です
現在まで一貫して記事の閲覧を継続せざるをえなかったといえる釘付けの立場であったであろう主体は特定することができます

まずは選挙前後に死人や病んでしまう人の出ない選挙区の維持をみんなで実現していきましょう

このブログは学問から派生しています
マネジメント全般です
離島独特のコーポレートガバナンス観を示すことには意義があります
企業統治観
江戸時代の農民管理を端として現在まで続いてきてしまっている潜在意識というものを記録に残せるとよいわけです


今日は”いたわり”について

優秀な人の欠点は、手加減というものを知らないことにあるのかもしれません

周囲の者も自分と同程度の遂行能力を持っていて当然だろうと思ったら大間違いです

小学校高学年の頃、みだしなみがなかなか向上しない女生徒がいました
みだしなみは自分で整えることができて当然だろうと小学生だった私は固く信じて疑いませんでした
その子の机の中は不思議と給食の残りや履いた靴下などよくわからないものでいつのまにかうまっていくのでした
私は彼女のみだしなみがよくならなかったのかを20代も後半になってようやくわかってきたような気がします

人にはインテリジェンスの値が固有に備わっています
値が上がってこない者を特別に指導する環境というようなものが用意されています
このような環境で生活している者にいたずらをする職員
これは霊長類として最低の部類だということがいえます

25歳と14歳、30歳と14歳といった絶対的に情報量の異なる者同士の向き合い方というのは成人の誰もが理解できていなければならないことです

成人するとパートナーとして向き合っていく人を必要とする時期に直面します
年齢を重ねるたびに情報量は増加していくものです
同程度の情報量を持つ者同士で向き合うことは対等なコミュニケーションだといえます
年の離れた人物が持っている情報量というのは確実に異なるわけです

同程度の情報量を持つもの同士のコミュニケーションはおっくうなものです
対等であるのでわずらわしいのです

同程度の情報量を持つもの同士のコミュニケーションを回避するとわずらわしさを取り除くことができます
向き合う相手を自分より情報量の少なさが予想される年の離れた者へと移してしまうのです

自分より情報を持っていない相手を支配できる
自分より情報を持っている相手は支配できない

単純な論理です

金銭を介在させて未成年と短期間のパートナー関係を持つ
こういうことは一般的なことではないということの確認が常に行なわれていればよいわけです
特異な例というのはやたらとめだってしまうものなのですが異常な事態だからめだっているわけで通常人とはそのようなものとは異なるということの識別がついていればよいわけです

受験競争などであしきりをまぬがれてきた人は”いたわり”を覚えるようにしなければなりません
順当な生活環境を確保している人は同分野において多くの離脱者の存在があってこそ今があるわけです

生涯にわたって離脱者との差をさらに拡げるだけの存在になりさがってはいけません


いたわりは無用であるという業界もあるものです
金融の世界などは特にそうです
食うか食われるかの厳しい世界なのです

情報量をあまりもたない人物だけにターゲットをあわせるような人はいたわるといった概念が皆無です
このような人にはいつまでたってもいたわりとはまったく反対のものが自分にかえってくるものです


今日は投げkissでお別れです
息が苦しくならないからとっても便利です
おやすみ