新笠通信 奄美電信版

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めがねごしのそら

2009-06-14 16:50:10 | Diaries
時間があったら笠利町の明神崎近辺の土地取引の歴史を

記述していきますね


笠利町の明神崎近辺は1970年代にリゾート開発用地として
島外系資本のさんぺいこうぎょうが買収を行った
もともとあった田畑を用安集落の人たちは売却した
田畑の持ち主らはさんぺいこうぎょうに勤めるようになった
ほどもなくさんぺいこうぎょうは撤退した
田畑の持ち主らは路頭に放り出された



それだけの話だ



田畑の持ち主(所有権者)らはあまりにも若すぎた
村会議をしきることができても
次代、次々代の人生はしきれない



世代交代がおきたのち
絵に描いたように根こそぎもっていかれる
防戦の側と攻撃の側の比率は
どの時代でも
1対∞
とかわらない



1人でかかえすぎたあとの反動にはそれなりのものがくる
1人でかかえたという自己満足はその1人一代限りのものにすぎない


おっさんなんのはなししてんでしょうね
こんな感じで南西開発とか竹山産業開発とか奄美テレビ放送とか
浜田機動といった企業名がぽんぽんとでてくることを誰か期待するのかしら



放送局が行政を追及したあとで、
その手口とまったく同じ方法で放送局の執行部が追及されていくと疲れるし、
うまいように仕事はやんなきゃだね



放送局が笠利町議会に対して意思をもっていたのはどうしてかな

放送局の執行部が名瀬市職員OBだとすると
名瀬市役所が笠利町議会に対して意思をもっていたということになるぞ

代表取締役に地上げ屋させるのもたいがいにって皆思うようになるぞ



合併で会計が結合されたことについては慎重な評価を
続けていかなければならなくなっちゃった
隣接も同じように評価していくでしょう



借主は職員、連帯保証人は住民、貸主は債券投資者



誰も何も考えたくないでしょ

年金体系(もちろん税・補助金・所得体系も)を把握して
再構築を計画する現場にいる人は頭の切れる人であればあるほど
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・明るくなろう



戦後の主流派の実績というのをきっちり評価していかないと
どこで無理があったのかというのを特定することはできない
というか、スタートラインにも立てないでしょう。



評価することそのものを封じるからいつまでたっても
スタートラインにたてなくなるし、
適切に歪みのない情報を取得していった人が評価を行わないと
それこそ歪んだ修正の連鎖になってしまうし



きっちり目上を敬う(先輩が存在しているということを意識の外へ完全に追い出してしまわない)
国らしさというものを残している上で誰もが評価を自由に行える空気を保っておかなければならないし



奄美は選挙なれしすぎというのもあるけど
法務相を出しているぐらいだから
・・・ってまいいか



対抗支援者に対して島におれんようにしてやるというような感情が
自然に生成されていくような空気があるとよくないよね

どういう人たちだけが現役で残ってきているのかというのが
推して知れるようになっちゃうもんね



今日はちょっと口がゆるんだかな



現役の赴任者や比較的新しく生活を始めた人はこういう話は
それなりに考えてからってしかいえないよね



超速・瞬殺といった形容が似合わんばかりの言論封じを経験するかもよ



素朴な意見が聞こえてくるというようなことに、慣れてないんだ



郷中教育というのは評価を高く与えることができると思うよ



・・らしさというのはあってもおかしいことじゃないよね



ただここでやるとなぜかほとんど完璧に浸透してしまっちゃって



よそで義務教育を受けた人との違いがあからさまに



浮き彫りにされてしまうわけで



なんか違うということをすぐに発見するし、


感性が違うということにもすぐに気づいちゃうよね



いろんな感性や行動様式が存在しているというのを
柔軟に認めていけばいいわけだよね



しゃべりすぎたけど
何が何でも外野の存在を認知しないとしてくれている間は
自由に書けるかもよ



それじゃーね

薩摩家臣団?

2009-06-14 11:12:48 | Diaries
おはよーございまーす



女子モードすこしひかえめだけどだいぢょうぶかな



すてきな男の子のブログにぺたしたかったからアメブロにきたんじゃないのよ



だってはずかしくってぺタなんかできないんだもの




きょうは、みなみにほんほうそう(MBC)の 藤原 一彦 さんと

かごしまてれび(KTS)の 山本 慎一 さんに

みんな感謝しているかなと思ってブログを書いたの



そういう気分だったってだけ



今日の南海日日新聞(奄美群島地域エリアの日刊紙)に

薩摩家臣団の対談が見開き2ページを使って記載されていました



大江 修造 氏 (1938~)

調所 一郎 氏 (1960~)



いくら平成の時代であっても由緒を明かせばその時点で

家臣団が属していた看板を全面的に背負ってしまうことになります



とても危険な行為です

旧主流にしたって南方にしたって

エリア在住者に不満がつのってきたら(世の中がまわらなくなってきたら)

緩衝に明治政権派をと思うものです

とりあえずめのかたきにしてしまえとなるものです



特階をひどいめにあわせてやれというようなことを考えるのは

南だけではないわけです



軽い話ではないということをいいたかったわけですよん



薩摩家臣団の対談が現代にみられるなんて話題性ありすぎです



つづく