新笠通信 奄美電信版

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キングスジャパニーズ

2009-06-23 10:25:51 | Diaries
おはようございます

きんぐすじゃぱーにーず
名義を売るとどうなるか
報道機関に着弾
偉人を超えるな?
自分を客観的に

の5本立てです


きれいな日本語を常用できるというのはステータスです
居酒屋なんかにいってきれいな日本語で語り合っても
なかなか憩いにはなりません
特に若い人なんかそうだと思います
きれいな日本語で語り合う程度のおつきあいではない
ということをお互いに確認できるわけです

きれいな日本語を使うリーダーからは学ぶべきところが
多いのではないかと感じます
きれいな日本語を用いるというだけでも指導者として
欠かせることのできない責任のひとつが大きく果たされます


熟練したシナリオライターが
他人の名義を自由に使えるようになった
とはどういうことなのか
考えてみましょう

シナリオライターは
自己の文章表現に起因する
責任関係のいっさいを
他人の名義に移転することができます

手に入れた他人の名義を
生かすもころすも自由なのです

この名義は生きているかどうか
という判定を行うことができます

他人にのっとられた名義であると
察知されれば
この名義はしんでいると判断されます

シナリオライターは
他人の名義をぼろぞうきんのように
だって使えることができるのです

使い捨てることが想定のうち
すなわち意図があった上で
濫用も行えるわけです

リセットボタンで過去をまったく消去してしまえるような
人生設計は、まずだれもがおこなえません

なので
自分の名義がしんでしまうようなことがないように
ていねいにつみかさねをおこなっていくわけです


今年に入って報道機関のセキュリティーについて
とりあげました
「銃弾が送りつけられました」
とは、もはやさもよくあるようなことのごとし
であるかのようです

「被弾を受けました」
と報告したこととまったくかわりはありません

金属物にかぎらず、生物兵器、化学兵器
なんでもありうる
というような目標はそうめったに思い浮かぶものでは
ありません

目標の頭脳や心臓部と横のつながりの強さ
をもつ協力会社のリスクの大きさは
いったいどれほどのものとなるでしょうか

協力会社が頭脳や心臓部に近いということを
アピールすればするほど
「金属弾はこちらのほうでも待ち受けております」
というような挑発を強めていくことになります

危機管理意識を備えていることは必須の要件です


偉人を超えろではなくて偉人を超えるな
の指向があることはちょっと残念なような気がします
偉人崇拝におちいってほしくないという個人的な希望を
誇張して表現するとおおげさな表現になります


私はある程度自分を客観的にとらえることができます
土浜 穂高
という名義は
どういう部分では生きていて
どういう部分ではしんでいる
というようなことです

ときどきの精神状態のままで
表現を続けてきたので
どういう状態のぞうきんであるか
という観点で評価をおこなうと
ただひとついえることは
みれたもんじゃない
ということになります

書いたものは消せない
履歴にきざまれていくわけです

編集はいつだっておこなえます
ある一種のみれると考えられる
状態にすることは簡単なことです

実在している団体名や個人名義が
登場してきているわけだから
その時点から
お互いの状態の動向を意識するか否かの
判断が行われ続けているわけです


どうすればリーダーを続けたくない
と強く意識するようになるかわかりますか

横のつながりを国際金融力で疲弊させるわけです
それまでの履歴にでてくる団体やプライベートに
関連のある個人に対して苦痛に相当する影響を
与えるわけです

私のこのブログで一度たりとも正式な個人名称で
登場させてはいない人物がなんらかの影響を
受けているというようなことがあると思いますか?

意図を伴った外部環境によって影響を受けてしまった
人物が選択できる
将来に発生する選択肢がどれほどせばめられているか
というようなことは思い浮かべることができますか?

私のこのブログを一瞥して
(通常人は)
近づいてはいけない
近づけてはいけない
という判断が行えるということは
ある意味とてもまともであるということをも意味します

日曜・月曜と
2009年のできごと
として代表されるような記録事項が発生しました

なので話題にしているわけです

うらまれたら仕事をしたということ
うらまれなかったらなにもしなかったということ

ただそれだけのことです

うらまれるために存在しなければならない
ふんだりけったりの因果な家業であると
あらためて意識しなければならないこともあるかもしれません

やりたいと思った人がやりたいと思ったようにすれば
見苦しかろうがどうであろうが問題ではありません

40年ほどにわたって同じ団体で勤続するというような
働き方をしている人の
人生を戦略的に狂わせて平然としていられるような人物かどうか
を見抜く目というのは求められると思います

潔く堂々としていれば精神は残ります

どうでても悔いは残らないので自信をもっていきましょう