新笠通信 奄美電信版

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タイトルマッタ

2007-10-13 02:20:17 | B3
愛のあるバトルしてますか
公衆の面前でどつきあいしている姿を見ると興奮してくるものがありますね
霊長類的哺乳類の本能のぶつかり合いといったところでしょうか
なぜか爽快感を感じてしまうわけです
本能のぶつかりあいをスポーツにしてしまったというところが他の動物との違いです
本能のぶつかりあいは限りなくえっちな姿です
話し合いで決められた競技ルールをお互いが守ることによってえっちっぽさをとりはらうことができるのです

ルールというのがこれまたくせもので自分がイメージしているルールが正しいものであると信じたいという願望のエネルギーが発生してくるものです

じゃれあっている最中こそ生きている実感を得られるともいえます

公衆の面前で格闘すれば観戦者になにかを認めさせることになります

チャンピオンはあいつだと確認することになるわけです

ボクシングのリング上に立っている二人はボクシングの競技を行なっているわけです
土俵上でかまえている二人は相撲の競技を行なっているわけです

種目が異なる競技者同士で対戦したかったら話し合って共通ルールをつくらないと競技にならないわけです

対話なしに異種目競技者同士がオレはボクサーだとどなりながらまた一方はオレは力士だと叫びながらどつきあいをはじめたら見ているほうはおもしろいかもしれません

観客は成り行きがどうであれセッティングが整っていない舞台上の対戦者らに対してなにも認める必要をせまられていないのでうかつにももっとがんばれと言ってしまいそうにさえなるわけです

本能を発揮しているときはエロいですね

本能の発揮のしどころというのは人それぞれ違うわけです

向いている場所で本能を発揮している人についてとやかく言う必要はありませんね

今日は愛を語りたかったのですがちょっと違うお話になってしまいました
愛がないとどつきあえないというのもこれまた真実です
執着を見出せないものについてはスルーしますよね
干渉しないということもひとつの愛の形かもしれませんけどいじめと紙一重です

作法が洗練されている格闘技を続けるとスピリッツ的なものまで練成が可能と言いたいところですが精神性を追求する意識を持つことがとても不向きな社会背景に人々は置かれているといえます

心と技と体を伴なわせて向上させることが難しくなってきているのではないかと思います

パワーやテクニックだけに走りすぎると単なる凶器でしかなくなります

技や力をコントロールしている人間の内面的なものに人は憧れる時代がかつてはあったようななかったような・・・・

簡単にできないことを書くのは簡単ですね
精神性というのは永遠に簡単でないことだからですね
精神性抜きで技だけを伝えるのは簡単です
精神修養は運がよかった人しか行なえません
力技が横行するのが現実です

それでは続けてください


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