平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第15回は三好伸平(体育4・時習館)と村井亮太(体育4・奈良)です。
是非ご覧ください。
筑波大学硬式野球部4年、マネージャーの三好伸平です。
平素より、筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
はじめに、自分の生い立ちについて語らせていただきます。
わたくし三好伸平は、奈良出身、大学の先生の父、兵庫出身、専業主婦の母のもとに兵庫一の高級住宅街と呼び声高い芦屋(あしや)市で生まれました。
決して芦屋出身のセレブではございません。
母親は阪神甲子園球場がある西宮の出身で西宮市民病院より芦屋市民病院のほうが近いということで芦屋で生まれました。(両親の個人情報をさらしてすみません。)
その後広島に戻り、2歳ごろまで広島県で過ごします。
残念ながら広島の記憶は全くございません。
その後愛知県豊橋市に移り住みます。
自分は3人兄弟の真ん中で、兄、妹がいます。
尊敬するくらい真面目でしっかりしてる兄と、とてつもなく優秀な妹がいるわけですが、3人とも時習館高校野球部出身という何と言っていいかわからない兄妹です。
兄妹は離れ離れになってから好きになりました。
野球は兄がやっていた影響もあり小学2年生の4月1日、栄ドリームズに入団しました。
小4からの土日1日練、水木の夜練どれを取っても地獄の日々でした。
とにかく雨が降るのを祈る毎日でした。
中学校は学校の部活動に入り、高校も大学も野球をやりたかったのかはわかりませんが、続けてきました。
1つ言えるのは仲間のおかげが大きいですが、勝つ喜びを知っているから野球を続けてこれたのかなと思います。
全く面白くないので過去の野球の話はやめておきます。
生い立ちの話はほどほどにして、ラストシーズンに懸ける想いということで一番に思ったことは「優勝したい」ということです。
自分は3年時から連盟マネージャーとして働いていますが、チームで一番優勝シーンを見てきて、悔しく、羨ましい思いをしてきました。
自分は、本部席から筑波がマウンドに集まるシーンをめちゃくちゃ見たいです。
本当に見たいです。
その時ほど幸せなことはないと思います。
とにかく「優勝がしたい」ただそれだけです。
自分は春リーグ、結果こそ残りませんでしたが、非常に感動しました。
チームも苦しく、ケガなどもあり、多くの4年生がベンチにいながら出場できていない中で一人一人が1つの勝利のために行動している姿に思わず目を潤ませてしまいました。
チームのために必死になれる4年生だからこそ優勝を狙えると自分は信じています。
さて、話は変わりますが、自分のマネージャーとしての思いを綴っていこうと思います。
自分はマネージャーとして、部員に1人の「人」「大人」としてあってほしいと強く思っています。
その思いのうちの1つとして「相手のことを考えて行動できる人になってほしい」という思いをもってマネージャー活動をしています。
自分は世の中のほとんどのことが自分1人で完結することではないと考えています。
どんな活動でもどこかで誰かが関わって目の前の出来事は成り立っていて、その誰かのことを自分なりに精一杯考えて行動をするべきだと自分は思っています。
相手のことを考えて行動できるようになれば、感謝の言葉も出てくるだろうし、締め切りも守らないといけないと思うのではないか、そう考えています。
143人の部員の中には、「なんだ、あいつ偉そうに」と思っている人も多くいると思います。
そう思ってもらってもいいです。
でも、チームとして、組織としてあるべき姿になるためにそう言ってやらせる人も必要なのではないかと自分なりに考えた結果が今の自分です。
言いたくないときだってあります、許したいときだってあります、でも自分なりに部員、チームのことを考えて行動しているのが今の自分の姿です。
だから自分はやり続けます。
やり続けた結果、チームに良い影響を与えたり、誰かに何かを残すことができればいいなと思っています。
最後に家族、後輩、同期それぞれにメッセージを残したいと思います。
まず、家族へ。
部活だけに関わらず、常に気遣って、心配してくれてありがとう。
その気遣いがとてもうれしいです。
ラストシーズン悔いがないように頑張ります。社会人になってから少しずつ全員に恩返ししていくので待っていてください。
次に後輩へ。
こんなに面白くもない、無愛想な自分に関わってくれる一部の後輩たちありがとう。
関わってくれること、とてもうれしいです。
マネージャーとは関係ないところでもっと多くの後輩たちと関わりたいなと思っています。
意外と相談に乗ることは好きなので、万が一三好さんに相談したいと思ったら誰か経由でもいいので言ってきてくれるととてもうれしいです。
あと少し4年生のために頑張ってくれるととてもうれしいです。
最後に同期へ。
僕にとってみんなは誇りです。
いろいろな人がいるけれど、思いをもって取り組む姿かっこいいと思います。
みんながいるからマネージャーとして頑張ろうと思います。
選手、コーチ、トレーナー、SSDそれぞれの役割で頑張っている4年生を尊敬しています。
マネージャーとして認めてくれてありがとう(今はわかんないけど)。
マネージャーとして不甲斐ないこと、受けた注文をできていないこと等迷惑をかけてきたこと沢山ありますがいろいろ頼んでくれたり聞いてくれてありがとう。
あと少しみんなに不便な思いをさせないように頑張ります。
4年生が優勝して喜んでいる姿、すごく見たいです。
泣いてしまうかもしれません。
みんなで頂へ行きましょう。
ラストシーズン本当に優勝しよう、ビールかけしよう。
頑張ろう。以上です。
このブログを通して少しでも多くの人が三好伸平という人間を知ってくれると嬉しいです。
冒頭にも述べたように、本当に優勝がしたいです。
ただただ優勝がしたいです。
みんなならできると信じています。
「一心」のスローガンのもとチーム1つとなって優勝しましょう。
拙い文章にもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございました。
長くなってしまい申し訳ありませんでした。
秋リーグも温かいご声援をよろしくお願いいたします。
体育専門学群4年 三好 伸平
愛知県立時習館高校
こんにちは。
硬式野球部4年の村井亮太です。
今回、せっかくこのようなブログを書く機会を頂きましたので、自分の経験を少し振り返ってみながら思いついた事をぽつぽつと書かせて頂ければいいなと思います。
拙い文章となってしまいそうですがご了承ください。
突然ですが、あんまり使いたくないけど使っちゃう言葉ってありますよね。
「それな」とか「ワンチャン」とかがそれに当たるのではなないかと思ったりするのですが、私の場合、「あっという間」という言葉を使うのがあまり好きではありません。
なんか、今に至るまでに頑張ってきたこととか辛かったこととか死ぬほど笑ったこととかが「あっ」で集約してしまうのが悲しく思えるからです。
なので後輩から「やっぱり4年間って長かったですか」と聞かれても、「やってる時は長かったけど今思えば一瞬に思えるなぁ」とか、「あっという間」を丁寧に言っただけやろみたいな回答をしてしまいます。
しかし、私はつい1ヶ月ほど前、「あっ」という間に数々の出来事が瞬時に思い出されるという経験をしました。
飯塚君にヘッドショットを食らった時です。
至近距離から顔面に打球を受けた私は、顔面の骨の折れる音と同時に走馬灯を見ました(ガチで)。
ただ漫画やドラマみたいに、走馬灯から事件のヒントを得たり、なんとか生き残る方法を見つけたりといったような劇的なことはなく、私の場合、「これ午後練行かんでいいんちゃう」とか「米炊いて来たけど今日中に食えやんやろうなぁ」とかしょうもない事ばっかりが、一斉にギューンって頭に浮かびました(果たして走馬灯というのか?)。
しかし、唯一それっぽいことで頭に浮かんだことがあります。
それはスタッフミーティングをしていて、クラブハウスの会議室で小堀がホワイトボードに何か書き込んでいるシーンでした。
思い返してみると、確かにその時期が自分の人生の過渡期だったと思います。
部活のことはもちろんながら、私生活面でも本当に色々あって、全財産が2円だったり、『バキ』でいうと自分が範馬刃牙ならジャックハンマーのような兄が、『ドメスティックな彼女』でいうと自分がナツオならルイヒナのような妹が出来たりしていた時期でした。
そんな時期のスタッフミーティングは中々にヘビーでした。
しかし、私が言いたいのは「非常に貴重な経験をさせて頂いた」ということです。
もちろんスタッフミーティングは、今後2年間の自分の生き方を決定づける非常にシビアなものです。
ただ、あの時期にあそこまで本音で大好きな同期とぶつかり合える経験が出来たことが、今の自分を、そしてこれからの自分を形成する大きな要因となっていくのだと私は感じています。
きっと60年後の走馬灯でもホワイトボード小堀を思い出すのだと思います。
なので、もうすぐスタッフミーティングを迎える2年生、特にB、Cチームの2年生は、関わりも多かったし、一人一人の選択が将来その選択をしてよかったと思えるような結果であって欲しいと思います。
どんな結果が待っていても、そこまでに至る過程がきっとその後の自分の大きな糧になります。
綺麗事かもしれませんが本当に私はそう思っています。
応援しています、頑張ってください。
さて、そろそろ締めようと思います。ここまでだらだらと書いてきましたが、思ったことは「あっという間」ってのも意外と悪くないのかもってことでした。
もちろん振り返ってみると「あっ」というだけでは振り返りきれない量の思い出が詰まっています。
しかし、普段は「あっ」と言っておいて、たまにじっくり蓋を開けて振り返ってみる、思い出ってそのぐらいが一番綺麗なのかもしれません。
蓋を開けた時の喜びが増すように、太くて濃密な質の高い「あっ」を求め続ける、そんな人生を送って行こうと思います。
そうすれば自ずと見えるのではないでしょうか。
60年後の走馬灯で秋リーグ優勝の景色がね(うまい!)。
体育専門学群4年 村井亮太
奈良県立奈良高校
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