こんにちは。 いつも筑波大学硬式野球部を応援してくださり、ありがとうございます。
アデレード シートンハイスクール出身、二年の鈴木星一郎です。
ん?と思った方がほとんどだと思います。私は埼玉県の私立高校で一年間甲子園を目指した後、自分が求める野球とは何か、本当の野球の魅力とは何かを求め、高校退学、単身野球留学を決意し、高校三年間をオーストラリアで過ごした変わり者です。
決して文章を書くことが得意ではないため、稚拙な文章ですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
私は埼玉県の久喜市鷲宮という町で育ちました。高校野球を指導していた父の影響で物心ついたころから野球をはじめ、プロ野球選手を目指し、ただひたすら野球をするという幼少期を過ごしました。
中学校に上がると、大宮シニアという硬式のクラブチームに入団し、90人を超える選手たちと共に日々練習に明け暮れ、二年生の夏にシニア全国制覇を経験しました。初めて大きな大会で優勝したあのときの気持ちは今でも鮮明に覚えています。 私の中学時代を語る上で欠かせないのは、中学二年生のときに大病を患い、二か月ほど入院した時のことです。
一見人生の低迷期のように感じる方がほとんどだと思います。しかし、健康に野球をやれることのありがたさや毎日手紙をくれて退院の日にサプライズをしてくれたクラス、友達の大切さが身に染みた、私にとってはかけがえのない経験です。
今となってはこの病気を患ったことは、この上ない幸運であったと認識しています。
ここからは私の高校生活についてお話ししたいと思います。埼玉県の強豪と呼ばれる私立高校に入学し、甲子園を目指し頑張っていました。しかし、日に日にミスをしたものを責める指導、罰としてランニングを延々と行わせる指導に疑問を抱くようになりました。
ミスをした者にもう同じミスをさせまいと行っていることであると理解はできるのですが、 萎縮してプレイする選手を見ると、ミスを責めたり、罰を与える指導は選手に活躍してほしいという目的に対し矛盾が生じているのではという考えを持つようになりました。以降私は、生意気に監督の元へ足を運び、恐怖心を捨て、選手が委縮しないよう、存分に力を発揮できるようチームを変えるべきであると主張を続けたのですが、努力もむなしくすべて却下されてしまいました。
さび付いた考えが変わることはないと悟った私は、ある日海外の野球はどのようなものなのかと考えるようになりました。日本特有の、厳しさの中に美学を見出す野球には日本の文化的歴史的背景があると考えていた私は、海外の野球は全くの別物であると確信していました。
両親に相談し、インターネットを駆使して調べた結果、野球に特化した学校がオーストラリアにあるということを知り、15歳の秋、単身野球留学を決意しました。
海を渡ってからの生活は非常に刺激的なもので、野球そのものに対する考え方が大きく変わりました。中でも印象に残っていることは、一年目に出場した全国大会の決勝戦で、最終回満塁の場面で打席が回ってきたときのことです。ひどく緊張していた私は、手堅くシングルヒットを狙おうとしていました。
しかし、コーチは私を呼び出すと、“Are you having fun?” (楽しんでるか?)と聞いてきました。
緊張する場面を楽しんでいるかなどという発想すら持ったことがなかった私は衝撃を受けましたが、野球とは本来そういうものなのではと思いました。これが元の日本のチームでは、ミスして怒られる、殴られることを考えてしまいそうですが、それでは選手の力が百パーセント発揮されることはないでしょう。
指導者のご機嫌を伺い、指導者からの無駄なプレッシャーをはねのけてどうにか結果を出して、どうにか一日を乗り越えていく綱渡りのような野球を日本でしてきた私にとっては、一気に雲が晴れていくような出来事でした。結果的に初球をフルスイングでとらえ、感動のあまり半泣きでダイヤモンドを回ったことは今でも鮮明に思い出せます。
本来野球は人々の娯楽であり、楽しいから俺は野球をやっているんだと笑顔で言えるような状態が自身のパフォーマンスにとってベストであり、それはただ楽しむということではなく、向上心を持ち、目標に向かい真剣に仲間と努力するその過程を楽しむということであるとオーストラリアでの三年間を通して考えました。
日本で野球を続けてきて、理不尽な指導者や、チームのやり方に疑問を抱き、野球が面白くないと感じたことがある方も多いのではないでしょうか。そんなときほど、野球の本質とは何か、野球とはそもそも何なのかを考えると少し自分のやるべきことが見えてくるのではないでしょうか。
オーストラリアに行って間もないころ、私は英語が話せず、日常生活にも苦労していました。しかし、野球をしているというだけで人の和が広がっていき、多くの人と知り合うことができました。「言語」は人と人を繋ぐツールですが、私の場合それが野球であり、一つのコミュニケーションツールとなっていた感覚がありました。野球が言語の壁を越えて人と人を繋いでいくその様に、勝った負けたという事実を超えた野球の価値を感じました。それを知っただけでもオーストラリアに行く決断は正しかったと思います。
最終的に、州代表 として全国大会に六回、メジャーリーグ、カレッジ関係者の方にスカウトを頂くなど、結果としても家族を離れ、海外で野球をするという決断をしてよかったと感じました。 家族と全く会えないのは寂しかったですが、日本に帰ってきた今、家族に会える時間はとても幸せな時間になっています。
日本とオーストラリアの野球の違いは何か?と聞かれると、私は、「チームがあって選手がいるのが日本で、選手がいてチームがあるのがオーストラリアの野球」と答えるようにしています。
どういう意味かというと、日本は、チームの方針に選手が従いつつ力を発揮することでチームとしての組織力を高めていくという特徴があるのに対し、オーストラリアは、選手が自分の個性を生かし、それを磨くことでチームを強くしていくという特徴があるということです。日本では、チームカラーに染まるように言われることが多々ありますが、オーストラリアでは、それぞれが自分の色を持ち、重なり合うことで色を成す、いわば虹色のチームカラーであったということが言えると思います。
筑波大学硬式野球部の今年のスローガン「一心」にはいろいろな意味が込められていると思います。チームワークという言葉一つとっても説明することは容易ではなく、だからこそ、グラウンドで、プレイでそれを表現することが大切であり、それもまた一つ野球の魅力だと私は思います。
支離滅裂な文章となってしまいお恥ずかしいですが、私が自身の経験を通して、熱い思いを持って筑波大学硬式野球部で活動しているということが、少しでも多くの方に伝われば 嬉しいです。
今後もチームに貢献できるように頑張ります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
体育専門学群2年 鈴木星一郎
シートン高校
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