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1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~本間暁登(体育1・北海道栄)

2024年12月07日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は私、本間暁登(体育1・北海道栄)です。




日頃より、筑波大学硬式野球部への多大なるご支援とご声援をいただき、誠にありがとうございます。1年生ながら、野手コーチを務めさせていただいております。本間暁登です。



とんでもない文章を書き上げましたので、最後まで読んでいただけると幸いです。




北海道の登別市に生まれ、中学までの15年間を登別市で過ごした私は、野球をやっていた父の影響で、登別野球少年団で野球を始めました。



ちなみに、コロポックルの森という幼稚園の出身です。「君たちは天才だ、無限の可能性を秘めている」的な教育をされて育ちました。そのおかげで私は、今でも逆立ち歩きができます。サキ先生がとっても好きでした。話を戻します。



中学は軟式のクラブチームに入りました。入った直後に、気づいたら東日本大会で優勝してました。私は背番号12番をつけて、11番をつけていた同期の阿部くんと、終始ベンチで楽しくおしゃべりしてました。



ですが、大宮監督のもとで野球ができたあの3年間は、私の野球人生にとって1番の財産であったと確信しており、3年間で得た学びは今も私の礎になっています。




それからは、2年生で全道優勝、3年生では全道準優勝、道南選抜の主将として全道優勝を達成しました。



優勝チームの主将という肩書きもあり、大した野球スキルのない自分でしたが、有難いことに幾つかの野球の強い私立校から、お誘いをいただきました。



学業での進学も考えましたが、「甲子園には1人じゃいけないけど、勉強は1人でもできる」と思い、北海道栄高校への進学を決意しました。




高校での3年間はもう半端なかったです。一年生から色々な背番号をつけさせていただきましたが、結局どれも2桁。しかも最後の夏は、選手ではなくスタッフとして活動しました。




何が足りなかったのかは今でもわかりません。
決勝で北海高校に大敗を喫し、高校野球生活に幕を閉じました。
あっけない夏でした。




でもあそこでもし勝って甲子園に行っていたら、時間が足りなくて、筑波大学には合格できてなかったのかな。と考えると、これもまた1つの縁なのかなってなんか不思議な気持ちになったりもします。やっぱり人生って、そーゆー事なんだと思います。




そしていま、たくさんの方々のサポートのおかげで合格できた筑波大学で、野手コーチとして活動させてもらっています。




尊敬する大先輩である森口尚哉さんに報告した時は、嬉しすぎてタメ語を使ってしまいましたが、「未来の筑波を頼むぞ」と強い一言をいただきました。あの一言が今も自分の原動力になっています。









『言葉は最初の行動』



最近はこの言葉が気に入ってます。
「そんなん口だけやーん」と言われる事もあるかもしれません。
でも私は確信しています。



思い切って言葉にする勇気もない人間に、
何かを成し遂げることは不可能です。



日常会話でも「やっぱ人生って〜だと思うわ。」とすぐに「人生」という言葉に全てを帰着させ、一見深いようで恐ろしく浅はかな発言をしてしまうイタい私ですが、私には最高に賢くて、でも面白くて、なまらかっこよくて、野球が大好きで、大失恋すらも笑い話に変えてくれる30人の最強の仲間がいます。




ここで宣言します。




『3年後、絶対にヘッドコーチとしてチームをリーグ優勝・日本一に導きます。』










体育専門学群1年 本間暁登
北海道栄高校

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