直前まで当地にまともに!と覚悟した台風
夜が明けてみれば関西方面へ向かっていた。
14日の朝、目が覚めると西の空に朝日で濃い虹が出ていた。
それもこんなにはっきりと濃い虹でした。
今回は西よりへ西よりへとコースをたどった。
世界のスパコンの多くが台風のコースをあたらずとも遠からずで予測していたのは驚きです。
潮岬から山陰鳥取へと辿った台風は稀有ではなかったか?
各地に豪雨禍や竜巻、締めくくりはお盆帰省の足の大混乱を残して遠ざかった。
台風シーズンはこれからというの今までだが、ラニーニャの今年はどんな秋になっていくのだろうか?
以下、台風に先駆け8月初旬に催された犬山城下のロングラン花火です。
コロナ禍で中断してましたが再開です。
撮影は木曽川下流2㎞地点の河原から撮影
それも6号も7号も、松山という所は石鎚山に守られてると、
皆言いますが、本当にその通りです。
此方松山に来て50年近くになりますが、被害に遭った事がないのです。
愛媛そのものは、台風の被害はよく出ますが、松山そのものは、
台風では、そんなに大きな被害は出てない様な気がします(^^)
ベルさんが住んでる地域だけですかね(笑)
一番恐ろしかった台風は小4の秋でした。台風名はほとんど語られないジェーン台風(1945年)です。
大阪湾から尼崎付近に上陸しました。
戦後復興期の大阪市内が高潮で水没、死者は3000人を超えていたと記憶してます。我が家も2階が吹き抜け半壊しました。
伊勢湾台風と比較できないですが同じような被害をもたらした猛烈台風だったのではと思ってます。
戦後の観測体制や機材も不備、米軍の観測に頼っていた時代だったのでしょうか?まとまった記録もないようです。
拙宅も半壊、九死に一生を得た思いです。
戦中に吹くことがなかった硫黄島生まれの神風の実態でした。(笑)
我が街は、強風で中止でした
シチリア島では47度を記録したそうで、
WMOは「人類の危機」と警告しております。
この虹の色はお初です。
なにかの予兆ではないでしょうね?
最近の台風って迷走していますが、
それにしても、ハワイの山火事は酷かったですね。
東京都は水不足で節水を呼び掛けております。
やがて、日本列島も砂漠化するのかもわかりませんよ。
大変でしたね~
交通機関も振り回されましたし・・・・
まだまだこれからも台風が気になりますね~
といっても他の花火大会と比較にならないショボクレタ花火です。打ち上げ時間はわずか10分、300発の花火です。ただ10日間毎晩打ち上げてました。観光客へのせめてものサービスなんでしょう。
写真は多重撮影です。<m(__)m>
若かりし頃、毎日MAX43℃~min38℃の島国(バーレン)でお盆前の3週間滞在したことがあります。暑いより熱いです。
ものすごい湿度と熱気で人が住めるところじゃなかったです。
それでも懸命に仕事していたのは日本人でした。
成田に帰国したとき水道水が美味くて水の冷たさがありがたかったです。
丁度、日航機が行方不明(御巣鷹山の事故)とTVで報じていたさなかでした。忘れられない記憶です。
朝焼けの光が重なったからかと思っています。
それにしても雨は欲しいですね~。
水害被災地には申し訳ないですが、雨雲は犬山避けて通過してるようでお湿り程度でした。