さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

秋の夜長に聴く音楽

2011年10月25日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
ここ2、3日の間で急に夜が寒くなった。

本格的な秋のおとずれだ。

秋の夜長・・・ただでさえもの思いにふける季節なのに、実はここんとこ柄にもなく眠れない胸の痛みを感じている。

昔ならオフコース「秋の気配」「さよなら」なんかを聴いては、女の子みたいに珈琲や紅茶を飲みながらサリンジャーやら、中原中也を解ったつもりで読んだりして過ごしていた僕だが(笑) あれから20年以上も経つと、そんなに自分自身をヒロイン仕立てにする余裕もなくなってきた。

ペット・ショップ・ボーイズの曲に「ビーイング・ボアリング」という曲がある。
亡くした友や、別れた恋人を思いながら、いまの自分を振り返っているような歌詞が、哀愁あるテクノメロディとともに沁みてくる。 彼らの曲の中でも、大好きなナンバーだ。
昨夜はリピートで聴きながら、カンパリを飲んで朝を迎えた。
今夜はさすがに寝不足で寝れそうだ・・・。


Someone said if you're not careful
(誰かが言ったんだ、注意していないと)
You'll have nothing left and nothing to care for
(何もかも無くすだろうし、大切なものは何も手に入らないって)
In the nineteen-seventies
(あれは1970年代のことだった)

But I sat back and looking forward
(でも、僕はゆったり構えて先を楽しみにしていた)
My shoes were high and I had scored
(底の厚い靴を履いていたし、自信もあった)
I'd bolted through a closing door
(僕は閉じかけた扉から外へ飛び出したけど)
And I would never find myself feeling bored
(決して自分の人生に退屈を感じるようなことは無いだろうと思っていた)

Now I sit with different faces
(今では、僕は色々な仮面を付けるようになっている)
In rented rooms and foreign places
(借りた部屋でも、異国の地でも)
All the people I was kissing
(そして、僕が今まで世話になっていた全ての人達)
Some are here and some are missing
(元気にしてる人もいるけど、死んでしまった人もいる)
In the nineteen-nineties
(そう、今は1990年代)

But I thought in spite of dreams
(だけど僕は、例え自分の夢がどうなっていようと)
You'd be sitting somewhere here with me
(君がどこか傍に居てくれるだろうと思っていた)

'Cause we were never being boring
(だって、僕らは決して自分の人生にうんざりなんてしていない)
We were never being bored
(僕らは決して自分の人生に退屈を感じるようなことはなかった)
We were never being boring
(僕らは決して自分の人生にうんざりなんてしていない)
We were never being bored
(僕らは決して自分の人生に退屈を感じるようなことはなかった)