あれは確か、2001年の6月頃だったか、僕が自分のホームページで「骨のあるシンガーだ!!」みたいな紹介の仕方で、水田氏のCD「この扉を開けるまえに」を紹介していたら、なんと本人から直接メールが届いたのだ。「僕の事をホームページで紹介してくださりありがとうございます・・・」と書かれた文面を何度も読み返しながら、最初は誰かの悪戯かと思ったくらい驚いたのが、水田達巳氏との出会いだった。 その前に、「焼き鳥 ひな美人」を経営する友達、東出くんがいつだったかカラオケで「泣かんといてくれ」を歌ってたのを聴いて、「これめちゃええ歌やん!誰の歌?」と尋ねたのがきっかけで、あの歌を聴いていなかったら、水田達巳というアーティストを知ることがなかったんだろうなと思う。
2001年のメールのやり取りから5年後、「永田さん、今度、大阪に帰る途中に奈良へ立ち寄ろうと思います、どこかライブする場所ないですか?」と電話があり、これまた驚きの出来事で、まさか俺自身も一緒に歌うとは思ってもみなかったから大変・・・興奮の連続で2006年11月4日(土)ついに水田達巳&ながたたかしLIVE「出逢い」が、今はなき生駒BadBoysで行われた。 そして2007年7月13日 水田達巳&ながたたかしLIVE「約束」、2007年11月3日・4日 水田家のシュークリームパーティVol.6・Vol.7、そして唯一、僕が参加出来なかった 2008年11月7日 水田家のシュークリームパーティVol.14と彼の奈良入りは続いた。 2006年〜2007年と言えば、僕自身、人生最悪の時期で、自分が作ってしまった借金に追われ、昼間の会社勤務とは別に、朝刊配達を続けていた時期。 体力も神経も、洗いざらしの洗濯物の如く、クタクタ状態だった。 「音楽なんてやってる場合じゃない」「なんて最低な男なんや・・・」と悔やむばかりの俺だった。 そんな時期に行われた彼とのジョイントライブは、自分にとってどれだけの勇気と自信に代わったことだろう。 「音楽続けていてよかった!」と心底思えた出来事でもあったのだ。 そして昨年の10月4日、水田氏はまた奈良に来てくれた。
写真は2006年11月4日 生駒BadBoysにて・・・
そして明日、2015年3月27日(金)また、水田達巳と同じステージに立つことが出来る。いや、立つんじゃなくて座って歌うんだけどね。(^^;
明日、お越しいただける皆さんに感動してもらえるよう、今夜からテンション上げてる俺でした。
2001年のメールのやり取りから5年後、「永田さん、今度、大阪に帰る途中に奈良へ立ち寄ろうと思います、どこかライブする場所ないですか?」と電話があり、これまた驚きの出来事で、まさか俺自身も一緒に歌うとは思ってもみなかったから大変・・・興奮の連続で2006年11月4日(土)ついに水田達巳&ながたたかしLIVE「出逢い」が、今はなき生駒BadBoysで行われた。 そして2007年7月13日 水田達巳&ながたたかしLIVE「約束」、2007年11月3日・4日 水田家のシュークリームパーティVol.6・Vol.7、そして唯一、僕が参加出来なかった 2008年11月7日 水田家のシュークリームパーティVol.14と彼の奈良入りは続いた。 2006年〜2007年と言えば、僕自身、人生最悪の時期で、自分が作ってしまった借金に追われ、昼間の会社勤務とは別に、朝刊配達を続けていた時期。 体力も神経も、洗いざらしの洗濯物の如く、クタクタ状態だった。 「音楽なんてやってる場合じゃない」「なんて最低な男なんや・・・」と悔やむばかりの俺だった。 そんな時期に行われた彼とのジョイントライブは、自分にとってどれだけの勇気と自信に代わったことだろう。 「音楽続けていてよかった!」と心底思えた出来事でもあったのだ。 そして昨年の10月4日、水田氏はまた奈良に来てくれた。
写真は2006年11月4日 生駒BadBoysにて・・・
そして明日、2015年3月27日(金)また、水田達巳と同じステージに立つことが出来る。いや、立つんじゃなくて座って歌うんだけどね。(^^;
明日、お越しいただける皆さんに感動してもらえるよう、今夜からテンション上げてる俺でした。