さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

拓郎を歌って・・・

2019年10月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
二年前の年末、SNSを通じて彼の息子から、先日から親父が行方不明だと、心当たりのある方はご連絡くださいといった内容のメッセージが届いた。 それから翌日、親父さんが見つかったと・・・とある山奥の車の中で・・・。

その親父、彼は僕の音楽友達T氏だ。 なぜ今日このブログに書いた、いや書けるようになったかというと、彼の好きだった吉田拓郎の「流星」をギターで歌ったからだ。 今日まで歌えなかった、なぜかというと、あの日から今まで拓郎の曲を聴いたり歌ったりすると、どうしても彼のことを思い出してしまい辛くなったから。



葬儀の会場には、彼が生前凝っていたロードバイクとフォークギターが祭壇の左右に飾られ、葬儀が始まる直前まで彼が好きだった「吉田拓郎」の歌がBGMで流されていた。 

彼と出会ったのは2004年の秋頃、当時僕がソロで歌い出すきっかけをくれた生駒市にあったBadboysで、フォーク弾き語りユニットを組んでた3人組と出会ったのが最初だった。 その後その中のふたりとずっと交流は続き、山口県周防大島という自然豊かな島へ、ボランティア演奏に何度か一緒に行ったり、ブッキングライブ、そして「ならフォーク村」立ち上げ当初も参加してくれたり、さらに彼が求職中、僕が務める会社で一緒に働いていた時期もあり、そんな思い出は数多く、彼を思い出すのを避けていたところがある。
理由は、彼の死に方にある・・・どんな理由があったにせよ、自ら命を絶たせるような事をしてはいけない・・・みんな同じ思いだと思う・・・なぜ気づいてあげれなかったのか・・・。 そんなふうに思わせといて死んでいくのはとても卑怯だと俺は思うし、葬儀の時だって、家族の思いがあってのことなんだろうけど、拓郎の歌さえ流してほしくはなかった・・・拓郎の歌なんか似合いもしない、みっともない死に方だと思ったし、悲しさと腹立たしさがごちゃ混ぜに胸の中で暴れまくっていたのを今も思いだす。
もうすぐまた、12月、年末が来るたびに思い出させる彼の死・・・自ら断った命は、次に生まれ変わることは出来ないと聞いたこともある。でもね、君が生きてたことを知る人は、まだたくさん居るよ、せめて安らかであってほしい。

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