子供達の夏休みも終り、サラリーマン時代なら今日は上期の棚卸日、明日から巻き返しの下半期スタートなんですよね。たまたまネットを覗いていたら興味ある書き込みを開いて何度も何度も読み返していました。おそらく同じ実年世代、気心知れた仲間達と退職後の生活や心境のあれこれ話した内容でした。
「退職後の日々はどんなものなのか?時勢柄、経済的には厳しく、年金受給年齢や年金支給額も繰り下がっているので当面は失業保険や退職金でまかなっていくしかないが、通知された試算年金額では年金生活を悠々自適に送るわけにはいかない。退職後の日々の過ごし方や気持ちのあり方などこれまで培ってきた人生観がはっきり表れていて考えるところ大であったらしい。一般的には、定年退職後をどのように生きることが理想なのだろうか。直後は取り敢えずゆっくり休む。その後は仕事に追われ充分な時間を割けなかった趣味を楽しんだり、家族や疎遠になった親戚知人との付き合いを取り戻したいなどと考えたりして。先ず、長年の勤労体質を「毎日が日曜日」という状況に適応させることがひと苦労らしい。仕事が無いと社会的に無用な人間になった気がして、無職の公表を嫌って平日外出は避け、現状認識を頭がなかなか納得しないようである。辞めたら好きなだけ読書をしたいとか、パソコンの技術を極めたいとか考えていたが、いざその時がきたら知識や技術を習得しても使う目的が無いことに気付くという。また、娯楽としてだけの読書はつまらなく、旅行や映画・音楽会等もいつも一人では虚しい。かと言って一緒に行きたい人達とは経済的・時間的都合でなかなか調整も難しい。ならばと地域活動やボランティアを試みるが、付け焼刃の行動は長続きしない。何よりも手帳のスケジュールが空白であることが耐え難いという。日々の過ごし方や気持ちのあり方にこれまでの人生観が表れるというのはここからのこと。仕事人間に甘んじ、自分は何をしたいのかを深く追求していない人はただスケジュールの空白を埋めることを目的に新聞やチラシを見ては無料の講習会や趣味の講座に参加するようになる。あるいは何かに所属していることで安心するらしい。いったい何に対して見栄を張っているのだろう。反ってストレスにならないのだろうか。一方、引退後を自分の本来したかったことに費やしている人は傍からは一見無為に見えても充実しているように思う。本来したかったことが何もしないことでも良い。自信をもって誰はばかることなく自由な時を満喫する姿勢が羨ましい。
長い間社会に貢献した後の日々。ほんの何十年か前までの日本では、定年退職者は尊敬され堂々と悠々自適な生活を送り若い者にモノを申していたのである。毎日、凄惨な事件が伝えられ、政治にも経済にも光が見えない今の日本。今こそ、高度成長期を支えた知識と技術、そして団塊の世代のコミュニケーション能力を発揮して日本を立て直すために力を貸して欲しい、モノを申して欲しいと願うのだが・・・・・・・。」
我が身に置き換えるとまさに身につまされる切実な書き込みでした。今から先のあり余る時間とどう向き合っていくかが当面の課題?もちろん慣れれば済むことでしょうが辛い日々が待ち受けているのは確かのようです。ここらで今までの意識や生活感をリセットして自分自身のPI(生存価値)について自問自答してみましょうかね。
「退職後の日々はどんなものなのか?時勢柄、経済的には厳しく、年金受給年齢や年金支給額も繰り下がっているので当面は失業保険や退職金でまかなっていくしかないが、通知された試算年金額では年金生活を悠々自適に送るわけにはいかない。退職後の日々の過ごし方や気持ちのあり方などこれまで培ってきた人生観がはっきり表れていて考えるところ大であったらしい。一般的には、定年退職後をどのように生きることが理想なのだろうか。直後は取り敢えずゆっくり休む。その後は仕事に追われ充分な時間を割けなかった趣味を楽しんだり、家族や疎遠になった親戚知人との付き合いを取り戻したいなどと考えたりして。先ず、長年の勤労体質を「毎日が日曜日」という状況に適応させることがひと苦労らしい。仕事が無いと社会的に無用な人間になった気がして、無職の公表を嫌って平日外出は避け、現状認識を頭がなかなか納得しないようである。辞めたら好きなだけ読書をしたいとか、パソコンの技術を極めたいとか考えていたが、いざその時がきたら知識や技術を習得しても使う目的が無いことに気付くという。また、娯楽としてだけの読書はつまらなく、旅行や映画・音楽会等もいつも一人では虚しい。かと言って一緒に行きたい人達とは経済的・時間的都合でなかなか調整も難しい。ならばと地域活動やボランティアを試みるが、付け焼刃の行動は長続きしない。何よりも手帳のスケジュールが空白であることが耐え難いという。日々の過ごし方や気持ちのあり方にこれまでの人生観が表れるというのはここからのこと。仕事人間に甘んじ、自分は何をしたいのかを深く追求していない人はただスケジュールの空白を埋めることを目的に新聞やチラシを見ては無料の講習会や趣味の講座に参加するようになる。あるいは何かに所属していることで安心するらしい。いったい何に対して見栄を張っているのだろう。反ってストレスにならないのだろうか。一方、引退後を自分の本来したかったことに費やしている人は傍からは一見無為に見えても充実しているように思う。本来したかったことが何もしないことでも良い。自信をもって誰はばかることなく自由な時を満喫する姿勢が羨ましい。
長い間社会に貢献した後の日々。ほんの何十年か前までの日本では、定年退職者は尊敬され堂々と悠々自適な生活を送り若い者にモノを申していたのである。毎日、凄惨な事件が伝えられ、政治にも経済にも光が見えない今の日本。今こそ、高度成長期を支えた知識と技術、そして団塊の世代のコミュニケーション能力を発揮して日本を立て直すために力を貸して欲しい、モノを申して欲しいと願うのだが・・・・・・・。」
我が身に置き換えるとまさに身につまされる切実な書き込みでした。今から先のあり余る時間とどう向き合っていくかが当面の課題?もちろん慣れれば済むことでしょうが辛い日々が待ち受けているのは確かのようです。ここらで今までの意識や生活感をリセットして自分自身のPI(生存価値)について自問自答してみましょうかね。