岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

執筆中だった「斎藤茂吉と佐藤佐太郎」:脱稿しました

2013年03月01日 23時59分59秒 | 作歌日誌
書名 「斎藤茂吉と佐藤佐太郎」角川書店


 短歌を実作していると様々な疑問にぶつかる。例えば、「短歌における写生とは何か」「写実と写生の違いは何か」などなど。

 僕自身がこんな思いを抱えながら、様々な本を読み、それを覚書のように書いて行って書き溜めたものを一冊にまとめた。

 先ず、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の短歌作品を「象徴性」「音楽性」などいくつかのカテゴリーによってその特色を分析した。いわば作品論である。

 次に、二人の作品を支えた歌論とその源泉を、正岡子規まで遡って探究した。ここで「写生と写実」がどう定義されていったかをまとめた。

 それから、同時代の作家や歌人、影響を受けた歌人との比較論。これは今までになかった切り口だと思う。

 その次に、「アララギ」の100年の歴史の中での、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の位置づけを明らかにしようと試みた。

 それから、避けて通れない「戦争と短歌」の問題。歌壇全体を視野に入れ、歴史学の成果を採り上げながら叙述した。

 次に、表記の問題。「仮名表記」「文語口語」についてそれぞれ一篇ずつ茂吉と佐太郎の見解を紹介しながら考察した。

 そして最後に、「斎藤茂吉論」「佐藤佐太郎論」をいれ、まとめとした。

 斎藤茂吉も佐藤佐太郎も、僕の師匠筋になる。だが誉めるだけでなく、その弱点や明暗の暗の部分も率直に書いた。(これは今西幹一氏=元二松学舎大学学長の示唆によるもの)

 結果として、今までになかった茂吉論、佐太郎論となったと思う。しかも僕の実作上の疑問を解決する必要上に書いたものなので、僕の実作と分かち難いものになった。

 出版社に持っていく前に、自宅で3回校正した。そこで感じたのは、岡井隆、永田和宏、小池光、秋葉四郎のどの歌人とも違う切り口で、新しい斎藤茂吉、佐藤佐太郎、という人物像が描けたということ。

 それには理由がある。僕の大学での専門は、東洋文化で主に、日本近現代史を学んだ。先に挙げた四氏とは違う視点は、この辺りから出て来ると思う。価格、発売日は未定。茂吉没後60年の夏をめどに出版することになるだろう。



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