・茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし・
1950年(昭和25年)刊「つきかげ」所収。同年の作品。斎藤茂吉の没年は1953年(昭和28年)で最後の年は制作がなかったから、茂吉最晩年の作である。しかも1952年(昭和27年)と1951年(昭和26年)はみのり少ない年であったから、最期の絶唱と言える。
佐藤佐太郎によれば、「意識朦朧としたなか」で、遠くこがらしの音をきくというのだ。「遠のこがらし」は茂吉の造語。外のこがらしの音を聞いているのだが、遠くに響くおとのようにきいているのである。年譜によれば、すでに心臓喘息の兆候があり、1951年(昭和26年)には最初の心臓発作を起こした。すでに病床にあった。
「意識朦朧」とすることが多いにもかかわらず、この一首が心を打つのは、病状を直接は書かず的確に言葉を選んでいるからである。「遠のこがらし」という造語は作品に厚みと奥行きをだし、「意識朦朧」と言わずに「茫々としたるこころの中」ということによって病状ではなく、作者の心理を浮かび上がらせている。「ゆくへも知らぬ」という表現は古来から用例が多いがこの場合、「自分は死んだらどこに行くのだろう」という感覚が重なっているように思えるし、そこが成功の原因であろうとも思う。
佐藤佐太郎「茂吉秀歌・下」と長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」では、最晩年の秀歌としてとりあげられているが、塚本邦雄「茂吉秀歌」ではとりあげられていない。塚本邦雄は同書の解題で「除外例なき死といへるもの」の一首を「直視沈思すべき絶唱」「詩歌にむかっての辞世」と呼んでいるから、掲出の一首は「意識薄弱の作品」と受け止めたのであろう。写実派の歌人と塚本邦雄の「秀歌の基準の違い」を示しているようで、その点からも興味深い。