・暮方にわが歩み来しかたはらに押し合ひざまに蓮しげりたり・
佐太郎24歳。岩波書店に勤めていたころの帰宅途上の作品。上野の不忍池の情景である。「暮方」とあるから、勤務先の岩波書店から帰宅するのであろうか。
「押し合ひざま」という表現が印象的である。不忍池のそばを通ったことのある方ならおわかりとおもうが、この池の蓮の茂り方はまさに「押し合ひざま」なのである。ここを通ると、このフレーズをいつも思い出すのだが、これ以上の表現を思いつかない。「ざま」というのは語感がよくない。「ざまはない」「ざまをみろ」など・・・。さほど気にならないのは、「蓮の様態」をよくいいあてているからだろう。
僕などは「押し合ひ」に、都会の雑踏を連想してしまう。歌集のなかの前後の歌から判断して、一人居の下宿への帰途と思われるが、そういう孤独感のようなものも漂う。
初期の作品であることが分かるのは、「に」が3回も出てくるところである。のちの佐太郎の作品には見られない傾向である。佐太郎は同じ助詞が一首の中に重出するのをきらったからである。
しかし、通勤の途上・帰宅の途上・都会の部屋の中を詠むのは、当時のアララギではまれだった。そこが新風たる所以だろう。特にこの一首は「都会の中の自然」を詠んでいる点が特筆される。1933年(昭和8年)の作。すでに満州事変は始まっているが、東京ではまだ戦争の実感がない頃である。