・むらがれるものの寂しさとおもはむか一谷(ひとたに)に鳴くひぐらしのこゑ・
「たかはら」所収。1930年(昭和5年)作。
茂吉の自註は「作歌40年」「たかはら・後記」にはない。佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・上」と塚本邦雄著「茂吉秀歌・つゆじも~石泉まで・百首」もとり上げていない。
長沢一作「斎藤茂吉の秀歌」は次のように述べる。
「一つの谿(たに)をおおうように・ひぐらし・が盛んに鳴いている。それを< むらがれるものの寂しさとおもはむか >といった。この上句が、状態を一挙に捉えたといってよいような表現である。強く、大きいひびきである。・・・このように単純で、しかも大きく流動する声調は他の追随を許さない。」
茂吉の自註に頼らない批評である。僕はそこと同時に、上の句の表現に注目している。「おもはむか」は作者の主観であり、厳密なリアリズム的客観写生にはない表現だ。土屋文明との差異がここにあり、また、茂吉の「写生論」の具現化である。
「もの」を詠んでいるようで、そこに巧みに主観をしのばせる。その主観が目立たないのは、「おもはむか」という意思の助動詞の語感のやわらかさと、下の句の表現の的確さである。
かつて茂吉は、「すべての谷」を「八谷・やたに」と表現したが、ここの「一谷・ひとだに」という表現は「一つの谷」という言葉の意味と、まるでその谷に蜩(ひぐらし)の声が凝縮していくような印象をかもしだす。「一谷」は茂吉の造語だろうが、それによって短い言葉で印象が鮮明になる。これが造語が成功するかどうかの目安だ。
主観と印象。これは形をかえて佐太郎に受け継がれていく。その意味でも注目作と言えるだろう。