岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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佐藤佐太郎50歳:離島の生活を詠う

2010年11月28日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・年々に地(つち)せばまりてゆく島にひとつの井戸によりて人住む・

 「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。

 離島の暮らしの歌だが、これには佐太郎の自註がある。

「そのころ私は鹿児島の選をしていたが、投稿の歌に< 沈みゆく島といはるる燃島の >云々、という歌があって、そんな島があるなら私も見たいとおもって足をのばしたのである。・・・行ってみると< 沈みゆく島 >ではなく、土質がシラスだから海波や風雨にけずりとられてゆく島であった。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)

 この島は「燃島」(新島)といい、桜島の北東の海上に位置する。鹿児島湾のなかにあり大隅半島と桜島は地続きだから、絶海の孤島とは言えない。しかし、鹿児島市の裏側にあたり、佐太郎が訪ねた頃は、「1島29世帯」「早晩消滅するだろうといわれ」ていたそうだから、燃島(新島)を離島といっても構わないだろう。

 この作品の魅力の第一は素材の特殊性である。第二はそこでの人々の生活が見事に表現されていることである。

 この島は幸い現存しており、観光スポットとなっているようだ。が、この作品が詠まれたころは過疎の島だったのだろう。水道もなかった。その島民の生活を「ひとつの井戸によりて」で言いおうせている。

 そこに「地(つち)せばまりてゆく」島となれば、驚きは増幅される。

 60年代までは水道のない島は珍しくなく、僕も3年生の社会科で「離島の暮らし・飲料水はどうするか」「雨水をためる、井戸を掘る、湧水を利用する」などと習った記憶がある。水まわりは「島民の命綱」だと。

 著述業としての生活が安定し、地方に出かける機会が多くなった佐太郎の歌の題材は飛躍的に多彩になり、国内各地の旅行詠がふえてくる。これは「歩道」「帰潮」になかった傾向のひとつだ。それが観光案内的にならなかったのは、作品の中に発見・驚き・そこに住む人々の生活へ心を寄りそわせること、などの要素があるからである。

 そういう視点で旅行詠を読めば、読者にも発見があるに違いない。





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