岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

短歌の伝統と新しさ

2010年11月24日 23時59分59秒 | 私の短歌論
短歌は1500年の歴史を持っている。そのうち1400年近くは、和歌(そのなかの一形式が短歌・ミジカウタ)と呼ばれてきた。

 明治維新ののち、さまざまな個人・集団が「和歌の革新」を志した。落合直文の「浅香社」には服部躬治・金子薫園・尾上柴舟・与謝野鉄幹らが集った。その与謝野鉄幹は「東京新詩社」を設立し、ここには与謝野晶子・窪田空穂・相馬御風・平野万里・石川啄木・吉井勇・北原白秋・山川登美子らが集った。正岡子規の「根岸短歌会」には、伊藤左千夫・島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明らが、歌学の流れをくむ佐佐木弘綱・信綱父子の「心の華」(旧名・「いささ川」)には、石榑千亦・柳原白蓮・川田順・木下利玄・山下陸奥・五島茂・五島美代子・前川佐美雄らが集った。

 短歌革新の標的は堂上派・桂園派と呼ばれる「旧派和歌」であり、このような権威に対峙するために、新集団は「結社」を組んだ。

 と、かくの如く近代短歌は始まった。「写生・写実主義」「浪漫主義」「耽美主義」「自然主義」「叙景歌運動」「生活派」などの文芸思潮が生まれ、「古今和歌集」を聖典とする「和歌」に新風を吹き込み「短歌」という呼称が定着した。

 「短歌のルネサンス期」と呼ばれるように、この時期の多彩な歌人と多彩な潮流の残した収穫は非常に大きい。短歌における「近代」をもっとも感じさせる歌集を「赤光」と言ったのは吉田精一である。これらは明治・大正の「同時代文芸」であったが、100年を過ぎた今、これらは伝統といっていいだろう。その近代短歌の諸歌人も「万葉集」や芭蕉といった伝統から学んでいる。

 もともと短歌は和歌といわれた時代を入れると、その伝統の蓄積は膨大なものである。「新しい表現」を開拓するつもりなら、伝統に学ぶことが必要だろう。

 さて、その伝統をどう学ぶかという問題。僕は前衛短歌の歌人の態度が参考になると思う。

 先ず塚本邦雄。出発点においては斎藤茂吉風の歌を詠っていたという。その塚本が「茂吉秀歌・全5巻」を著わして、熱心に茂吉を研究したことはよく知られる。(カテゴリー・短歌の周辺:「塚本邦雄が斎藤茂吉から学んだもの」参照)。

 次に岡井隆。「未来」の立て直しにあたって「万葉集の勉強をもういっぺんやり直しましょう。「アララギ」という伝統をもういっぺん考えなおしましょう。」と主な会員に手紙を出したのが、1982年。(カテゴリー・短歌の周辺:「リーダー論・岡井隆< 私の戦後短歌史 >拾い読み」参照)。現代歌人協会主催シンポジウム「茂吉派 VS 白秋派」で斎藤茂吉について語ったのは記憶に新しいし、斎藤茂吉関連の著作も多い。

 最後に寺山修司。高校生のころから句作を始め、のちに短歌界に鮮烈なデビューをする。俳句は一晩の合宿で、100句・200句と作って感性を磨くそうだ。これを寺山修司が経験したかどうかわからぬが(おそらく、そのものか類似のことを経験していると僕は思う)、俳句に大きな影響をうけたことは代表作といわれる短歌作品が「鞭のような言葉遣い(岡井隆)」をしていることからも明らかだろう。

 以上述べてきたように短歌という文芸は長い伝統の蓄積を背負っている。近代以降でも膨大なものになるだろう。

 その上に「新を積む」。これはなかなか一朝一夕にはいかない。巨大な山に向かうようなものだから。




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